リオ五輪は、レスリング女子フリースタイル58キロ級の伊調馨選手(いちょう かおり・32)が決勝で、ワレリア・コブロワゾロボワ選手(ロシア)を下し、五輪4連覇を達成しましたね。
苦しんだ末の勝利に伊調馨選手は、「最後はお母さんが助けてくれたと思います」と、2014年、不慮の事故で亡くした母親・トシさんを思って、涙を浮かべていたのが印象的でした。
伊調馨選手の母親は、2014年11月28日、青森・八戸市内の自宅で倒れて頭を打ち、病院に搬送されましたが、すでに手術が出来ない状態だったといいます。
トシさんの死因は「脳挫傷」。
65歳で急逝したのです。
試合終了後、伊調馨選手は観客席で応援していた家族のもとへ。
父親の春行さんは、妻のトシさんの遺影を持って声援を送り「4連覇、やっちゃったよ。どうしましょ、本当に。(伊調は)一番良かった。感動しました」と「史上最強の娘」を褒めたたえました。
五輪4連覇を達成した伊調馨選手は、レスリングでは、吉田沙保里選手とともに人類最強の女として名を馳せています。
ただ、階級が違う2人が対戦した場合、どちらが強いのか?と、疑問に思うこともあります。
というわけで、今回は2人が同じ階級だった時の対戦成績と、今年1月の「ヤリギン国際大会」で敗れ、連勝が止まった理由について迫ってみようと思います。
伊調馨と吉田沙保里の対戦成績(同じ階級)
2012年ロンドン・オリンピックの後、ルール改正や階級区分変更が行われ、63キロ級だった伊調馨選手は58キロ級に。
55キロ級の吉田沙保里選手は、53キロ級に変更しました。
したがって、現在は階級が違う2人なので、対戦すること自体ありませんが、過去に同じ階級で対戦したことがあったのです。
伊調馨選手と吉田沙保里選手の対戦は、2000年「全日本女子選手権56キロ級」の決勝トーナメント1回戦と、2001年同選手権3位決定戦の2試合のみ。
対戦成績でいうと、いずれも吉田沙保里選手が勝利しています。
かなり昔の対戦なので、現在のレベルと比較するのは難しいことですが、言えることとして、伊調馨選手は吉田沙保里選手にかなわないと思い、別の階級に変更したということになります。
五輪4連覇を成し遂げた伊調馨選手さえ、かなわなかったということは、吉田沙保里選手は「霊長類最強女子」を証明したことにもなったと思います。
伊調馨の連勝が止まった理由
今年1月の「ヤリギン国際大会」で伊調馨選手は、モンゴルの若手プレプドルジ選手にまさかのテクニカルフォール負けを屈し、2003年3月以来、13年ぶりの黒星。
積み上げてきた連勝も189でストップしました。
この13年間、不戦敗を除けば世界で無敵でしたが、得意のタックルを研究され、カウンターで失点。
連勝が止まった理由として、伊調馨選手の試みた新しい戦術にあったようです。
4連覇を目指すリオ五輪に向けて、スタイルの変更に取り組んでいたのは、距離をとり、技に入る前の動きで相手を崩す高度な技術でした。
今大会では、相手をフェイントで動かしてから攻める高度な駆け引きを、男子と練習を重ねる中で気づいた戦術でしたが、肝心の勝負へのこだわりを忘れていたようです。
ただ、伊調馨選手のことですので、次ぐから同じ失敗を繰り返すことはしないと思います。
伊調馨の母親の死因
伊調馨選手は、3きょうだいの末っ子で、姉の伊調千春は「北京オリンピック女子柔道48kg級」の銀メダリスト。
 
今回のリオ五輪は、天国に捧げる金メダルと心に決めていたといいます。
(伊調馨の母親)
2014年11月28日、最愛の母・トシさんが青森・八戸市内の自宅で倒れて頭を打ち、65歳で急逝。
無情にも手術が出来ない状態だったそうです。
母親の死因は「脳挫傷」で、倒れて頭を強く打った際に発症したものでした。
「脳挫傷」になると死亡率は44%、社会復帰は31%と言われています。
伊調馨選手は予定していた練習をキャンセルして、飛び乗った新幹線の中で、母親の悲報を聞いたそうです。
青森県の自宅へ戻るとトシさんの遺体に長い時間、寄り添い、泣きっぱなしだったといいます。
母親・トシさんはレスリングは素人で、技術に口出しはいっさいしなかったらしいのですが、試合になると「絶対勝ってこい」と送り出していたそうです。
伊調馨選手は、高校から自宅を離れて県外に出ましたが、盆や正月に帰省すると、「料理に腕を振るってくれて、ひじき、切り干し大根、挽き昆布などを帰り際に持たせてくれた」と話しています。