梅川昭美(三菱銀行人質事件)と角田美代子の関係は?2024最新

梅川昭美の画像 事件

1979年(昭和54年)1月26日に発生した「三菱銀行人質事件」。

 

これは大阪住吉区にある三菱銀行(現在:三菱東京UFJ銀行)北畠支店で、猟銃を持った男が現金強奪を目的に押し入った事件です。

 

犯人の名前は梅川昭美(当時30)。

 

梅川昭美は、目的を果たせなかったため、居合わせた客と銀行員40数名を人質にとって店内へ立てこもり、警察官や銀行員合わせて4人の命を奪ったのです。

 

そこで今回は、犯人・梅川昭美と、兵庫県尼崎市で起きた「尼崎連続変死事件」の罪に問われた角田美代子の関係。

 

ほかにも梅川昭美が人質にとった女性行員の噂や、被害者の男性の耳を削ぎとるよう指示したことなどについてまとめてみました。

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三菱銀行人質事件の梅川昭美と角田美代子の関係

三菱銀行人質事件の犯人・梅川昭美の愛人が、「尼崎連続変死事件」の主犯格・角田美代子(享年64)だったという噂があるようです。

 

さらに、角田美代子は、あの鳴海清の元愛人だったという説もあるのだとか。

 

角田美代子の画像

 

鳴海清という男は、大日本正義団の元組員で、山口組組長・田岡一雄氏を銃撃したとして知られる人物。

 

鳴海はこのときの抗争の余波で命を奪われており、1978年9月17日、六甲山中の瑞宝寺谷で発見されています。

 

その鳴海の死後に角田美代子は、梅川昭美の愛人になったということですが、この話が本当なのかどうかと言われると、真偽は不明。

 

ただし、若い頃から暴力団と関係があったのは確かなようです。

 

そもそも角田美代子は、地元暴力団との関わりも持った李正則などの取り巻きを従え、親族の家に乗り込んでは、因縁を付け、金を絞り取っていました。

 

逮捕後、2012年12月12日に兵庫県警本部の留置所で自死し、もうこの世にいないのですが、犯行時になぜ複数の取り巻きを従えることができたのか?

 

角田美代子は李正則に、尼崎市内に事務所を構えている山口組系古川組の組長や五代目山口組の渡辺芳則組長、宅見勝若頭の名前を言って手なづけたそうです。

 

しかも、尼崎連続変死事件の犯行は、「M」と呼ばれる山口組系暴力団下部組織の幹部から受けたアドバイスを元に、実行していたと言われています。

 

Mという黒幕のアドバイスのおかげで、長い間、悪事がバレずにいたわけですが、ある日Mが急死。

 

以降、それまでの犯行手口が嘘のようにミスを重ねて行き、逮捕されることになったのです。

 

そんな角田美代子の人間関係を考えると、梅川昭美の愛人という噂は、あながちガセでないような気もします。

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三菱銀行人質事件の女子行員の噂

三菱銀行人質事件発生時、知らせを受けた大阪府警は、130台のパトカーと警官720人で銀行を包囲。

 

同時に梅川昭美の母親や友人に頼んで、投降と人質の解放の説得を続けたのです。

 

一方、その裏で強行突破の機会をうかがっていた警察は、梅川昭美に気づかれぬようシャッターに小さい穴を開け、店内の行動などを観察し、救出作戦を練っていました。

 

しかし、度重なる説得は失敗。

 

踏み込みによる強攻策も、決断の糸口がつかめぬまま時は過ぎて行きます。

 

結局、梅川昭美は、射殺されるまで42時間ろう城していたわけですが、その間はというと、人質の女性行員を全裸にさせていたのです。

 

この件に関しては、新聞の一面に大々的に掲載され、「女子行員が全裸にされている」、「女子行員が服を脱がされガードル姿」と報じられたのでした。

 

また、「三菱銀行人質強殺事件」の著書によると、女性行員が2回にわたって全裸体操をさせられていたといいます。

 

犯人の梅川昭美は、全裸の女子行員たちに、床の上で一斉に脚を開かせたり、ラジオ体操をさせたりするなど、様々な痴態を命じて楽しんだというわけです。

 

さらに男性行員と女性行員行員に性交するよう命じ、それを見物していたという噂もあるのですが、真偽のほどは不明。

 

ただ、絶対服従を強いられた女子行員は、命令されるがままに行動しなければならなかったのは、確かだったようです。

梅川昭美は被害者の耳も

梅川昭美は三菱銀行人質事件以外にも、15歳の時に殺人事件を犯して山口の特別少年院へ送致収容されています。

 

ただ、当時の少年法では、15歳までは刑事罰に問えないため、梅川昭美は少年法に守られて、殺人の前科はつかなかったとか。

 

そんな梅川昭美という男は、凶悪な人物なので、やることもエグい。

 

責任者の支店長を見つけ出すと、「失敗したのはおまえのせいや」といって射殺するは、人質にとった男性行員に対し、生意気だと言って発砲。

 

この男性は反射的に身をかわしたため、致命傷を逃れるのですが、死んだふりをしていると、梅川昭美は別の男性行員にナイフを渡し、「とどめを刺せ」と命じたのです。

 

その男性行員が機転をきかせ、「死んでます」と答えると、「だったら、耳を切り落とせ」と指示。

 

当初、男性行員は「できない」と命令を拒否していましたが、やむなく小声で「スミマセン」といいながら、左耳の上半分を切り落としています。

 

そして、死んだふりをしていた被害者の男性は、このとき当然激痛が走ったが、声を出すと自分も同僚も殺されるからとグッと我慢したと、事件後に語っています。

 

また、耳を切った同僚に対しては「恨みはない。これ以上被害者を増やしたくなかった」とコメント。

 

そして事件発生から42時間経過した、28日午前8時40分、銃声と同時に機動隊員20数人が次々に銀行内へと突入。

 

店内では梅川昭美の隙をうかがっていた特殊部隊の狙撃班が、指揮官の合図の元、梅川に向けて銃を発射したのです。

 

結局、8発放たれた弾のうち、3発が梅川昭美に命中。

 

その間に残った人質は、無事救出されたのです。

 

その後、梅川昭美は病院に搬送されたものの、その日の午後5時43分に死亡。

 

こうして「三菱銀行人質事件」は解決したのです。

梅川昭美の動機

梅川昭美の動機は、サラ金や知人から抱えていた、500万円の借金返済のためだったとされています。

 

三菱銀行人質事件を起こす、前年の3月ごろに銀行強盗を計画。

 

その際、大阪で出会った小学校時代の同級生、鍋島孝雄に犯行をもちかけていることも判明しています。

 

ところが、直前になって鍋島孝雄が「おれは降りる」と姿を消したため、単独で強行。

 

そしてこの鍋島孝雄という男ですが、後に別の事件を起こして、殺人幇助罪で逮捕されたのでした。

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