☆この記事はこのような人におすすめです。
・大原麗子さんと渡瀬恒彦さんの子供について知りたい。
・大原麗子さんの死因を知りたい。
・大原麗子さんの結婚歴、晩年についても知りたい。
女優の大原麗子さん(享年62歳)が他界してから、今年で15年を迎えます。
大原麗子さんは2009年8月6日、東京都世田谷区の自宅で亡くなっているのを弟さんと警官が発見。
連絡がとれないことを心配した弟さんが、8月3日に警察に相談し、6日午後7時ごろ警官とともに自宅を訪れると、大原麗子さんが寝室のベッドで倒れていたそうです。
そんな大原麗子さんの結婚歴は、2回あります。
1度目は、1973年に俳優・渡瀬恒彦さん(享年72)と結婚したものの、5年後の1978年に離婚。
2度目は1980年に歌手の森進一と再婚するも、1984年に離婚したのです。
また、晩年の大原麗子さんは、芸能活動を休止し、自宅に1人で過ごしていたのだとか。
旦那と子供がいない大原麗子さんは、孤独を感じながら晩年を過ごしていたとされ、悩まされていた難病の病気「ギランバレー症候群」とも闘っていたのです。
ただ、亡くなった時には「孤独死」と報じられたりもしましたが、本当の死因は「不整脈」。
不整脈による脳内出血が原因で、亡くなったということです。
そこで今回は、大原麗子さんの結婚歴などについてまとめてみました。
大原麗子と渡瀬恒彦の子供と結婚歴
1964年にドラマ『幸福試験』でデビューした大原麗子さんは、その美貌と演技力で一躍人気女優となりました。
結婚歴は2回あり、1人目の元旦那・渡瀬恒彦さんとは、映画『三匹の牝蜂』などで共演したのをきっかけに、1973年9月に入籍したのです。
(元旦那・渡瀬恒彦さん)
渡瀬恒彦さんといえば、俳優・渡哲也さん(享年78)の実弟で、喧嘩が強いことでも知られていましたが、2017年3月に他界。
渡瀬恒彦さんの死因は「多臓器不全」で、晩年は胆のうがんで闘病中でした。
その渡瀬恒彦さんと結婚した大原麗子さんは、結婚3年目の1975年、難病の病気「ギランバレー症候群」を発症。
そして、発症から1年後、ギランバレー症候群という難病を乗り越え、見事復帰を果たしたのです。
その後、大原麗子さんは、渡瀬恒彦さんと離婚。
もともと2人は嫌いになって別れたわけではなく、渡瀬恒彦さんが京都に生活の場を移し、夫婦一緒に暮らそうと提案したことが離婚の原因だったとか。
当時の大原麗子さんは売れっ子で、仕事は主に東京のテレビ局や撮影所。
女優を辞めて京都に住む選択をしなかったのです。
また、大原麗子さんは、渡瀬恒彦さんと結婚後に授かった子供を亡くすという悲劇に見舞われています。
当時、妊娠が子宮外妊娠だったため、泣く泣く緊急手術を決行。
ですが、大原麗子さん本人も危機にさらされて、渡瀬恒彦さんから輸血を受けたそうです。
その後、大原麗子さんは、1980年に2人目の元旦那となる歌手の森進一と再婚。
森進一といえば、2005年4月に離婚した、歌手・森昌子との間に3人の子供授かっています。
(2人目の元旦那・森進一と長男のワンオクtaka)
森進一、森昌子夫妻の長男の森田貴寛はワンオクのtaka、二男はテレビ東京の社員、三男の森内寛樹は、ロックバンド「MY FIRSTSTORY」のボーカリスト・ヒロというのは有名な話。
なお、大原麗子さんが森進一と結婚していたとき、1982年に一度子供を授かっています。
しかし、大原麗子さんが何も言わずに中絶を決断したのです。
ちなみに、森進一との離婚理由は最初の結婚のときと同じように、女優をやめて家庭に入れようとしたことだったようです。
大原麗子の死因となった病気
結局、大原麗子さんは、2度の結婚生活で子供を授かることはありませんでした。
離婚後の大原麗子さんは、女優を続けていましたが、1999年ごろに難病のギランバレー症候群を再発し、芸能活動を休止。
2003年ごろに一度は仕事復帰したのですが、2008年10月末にギランバレー症候群が再発したのです。
このギランバレー症候群というのは、歩行障害などを引き起こす病気で、原因が分からないことから難病指定されています。
その影響で大原麗子さんは、休養中の2008年11月に自宅で転倒。
その際、右手首骨折などの重傷を負って、リハビリ生活を送っていたのです。
そして、翌年の2009年8月6日に亡くなっているのが発見されるわけですが、当時、死因は不明ということでした。
当時の状況ですが、弟さんと警官が自宅を訪れた際、出入り口と窓はすべて施錠されていたそうです。
事件に巻き込まれた可能性は低く、自ら命を絶った痕跡もなかったといいます。
また、当初は死因をギランバレー症候群などと報じられましたが、この病気での致死率は5%ほどしかありません。
調査の結果、死因は不整脈による脳内出血が原因だったことが判明。
不整脈は心拍数が一定でない状態の事で、脳梗塞などにもつながる病気です。
大原麗子さんの場合は、脳内出血をおこしてしまっていて、1人しか自宅にいなかったことが致命傷となったのです。
なお、発見時の大原麗子さんは、携帯電話まで3メートルと近づいたところでコト切れていたそうです。
大原麗子の晩年は自宅で療養中だった
大原麗子さんの生い立ちは、壮絶な人生でした。
女優になる前は、父親の虐待で絶縁にまで至っていたといいます。
さらに47歳のときには乳がんを患い、晩年は孤独な人生。
難病のギランバレーまで抱えていたのです。
ところで、1人孤独に病気療養していた東京・世田谷区の自宅は、大原麗子さんが40歳のときに、土地とあわせておよそ3億円で購入した物件でした。
自宅は、敷地が約150坪、延べ床面積260平方メートルの白亜の豪邸。
間取りに関しては、2階建ての4LDKです。
1階には、40畳もある広いリビングとダイニング。
大きな中庭があって、2階には、キングサイズのウオーターベッドが置かれた寝室があったといいます。
そんな豪邸も大原麗子さんの七回忌法要の直前に買い手が見つかり、売却されたとか。
ただし、「買い手が見つかるまでの6年間は買い手が1人もいなかった」と弟さんは話しています。
ずっと空き家だったためメンテナンスだけでも大変で、家の窓を開けて風を通して、掃除機をかけ、拭き掃除をしたりするだけで1日がかり。
広い庭の草刈りもすべて1人でやらなければならず、泊まりがけでやる必要があるので水道や電気、ガスも止められない状態。
光熱費だけで毎月数万円、それに加えて、固定資産税が毎年89万円もかかっていたそうです。
生前、大原麗子さんは「この家をもし売るときはできればそのまま残してくれるとうれしいな」と、弟さんに遺言を残してしていたのだとか。
弟さんからすれば、想像以上に大きな負担だったことと思います。