夏井いつきと元夫の離婚理由は?再婚相手や子供って?(2024最新)

夏井いつきの画像 テレビ

人気番組『プレバト!!』に毒舌俳句講師として出演中の夏井いつき氏。

 

そんな夏井いつき氏は、一度離婚を経験しています。

 

しかも元夫と離婚し、涙にくれた激動人生を支えてくれたのは、熟年結婚した現在の夫のおかげだとか。

 

そんな今回は、夏井いつき氏が俳句を始めるきっかけとなった子供の存在。

 

元夫と離婚することになった理由などについて触れていこうと思います。

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夏井いつきの元夫

夏井いつき氏の元夫の素性ですが、具体的には明かされていません。

 

ですが、いくつかのことが分かっています。

 

まず、夏井いつき氏の元夫の職業が教師だったということ。

 

俳人になる前の夏井いつき氏も、職業は中学校の国語教師。

 

元夫と同じ中学校で教師をしていたので、職場結婚になります。

 

ちなみに、夏井いつき氏が元夫と結婚したのは25歳の時。

 

教師同士の夫婦として働き、一男一女の子供を育てる普通の家庭生活を送っていたということです。

 

なお、夏井いつき氏の俳号に使われている「夏井」という苗字は、元夫の姓だそうです。

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夏井いつきが元夫と離婚した理由

夏井いつき氏が元夫と離婚したのは、次々と家庭内で、健康問題が発生したのが原因だったようです。

 

夏井いつき氏は結婚後、元夫の両親と同居生活を開始。

 

しかし、間もなくして義父が病気で亡くなり、その後、姑が老人性うつ病を発症。

 

また、一人暮らしだった夏井いつき氏の母親も、脳腫瘍を患ったといいます。

 

その為、夏井いつき氏は、後遺症が残った実母を引き取ることになるのですが、どうしても姑と相性が合わない。

 

例えば、夏井いつき氏が帰宅すると、姑が実母に対して仁王立ちになって怒っている。

 

その時、実母は仏壇の前であおむけになり、ワーワー泣きじゃくっていたそうです。

 

深刻な家庭環境にさまざまな要因も加わり、やがて元夫もうつ状態に。

 

また、繊細な長女も、ついに不登校になってしまったのだといいます。

 

結局、いろんなことがあり、限界に達したことから、ひとまずお互いの親をそれぞれで引取り、面倒をみることに。

 

その後、夏井いつき氏は学校を辞め、俳句の仕事場のつもりで借りていたアパートに、ひとまず母親を住ませたそうです。

 

こうして夏井いつき氏は、これまでの家と母親の居るアパートを行ったり来たり。

 

朝は家で食事を作り、鍋に半分入れてアパートへ行き、母親に食べさせては、残りをまた鍋に入れて持ち帰る日々が続いたといいます。

 

そんな生活を送っていると、ある日、夫から「家族から解放されたい」と言われ、離婚することに。

 

夏井いつき氏は子供2人を引き取り、母親とアパートで生活をすることになったということです。

夏井いつきの再婚相手

夏井いつき氏の結婚生活は、当初は普通の家庭生活だったものの、家族の健康問題や介護の負担が重なり、次第に困難な状況に陥りました。

 

しかし、離婚後に再出発し、現在は俳人としての成功を収めています。

 

また、俳句に人生のすべてをかけれているのも、夏井いつき氏を全身全霊で支えている再婚相手の存在があるからでしょう。

 

夏井いつきは43歳で離婚し、その後俳人としての活動に専念。

 

そして、46歳の時、俳句を通じて知り合った8歳年上の加根兼光氏と交際をスタート。

 

3年後の49歳の時にプロポーズされ、結婚したのだといいます。

 

夏井いつきの元夫の画像

 

ちなみに、再婚相手の加根兼光氏は、元々博報堂の関西支社に勤務していた人物。

 

かつて中村玉緒が出演する『マロニーちゃん』のCMなどを手掛けたCM・映像プロデューサーです。

 

現在は定年退職していますが、映像プロデューサーとしての活動を継続し、「株式会社夏井&カンパニー」の代表取締役へ就任しています。

夏井いつきが俳句を始めたきっかけ

夏井いつき氏が本格的に俳句と出合ったのは、今から30年以上も前で、長女がおなかにいる産休のとき。

 

書店でふと手に取った俳句雑誌への投稿が、きっかけだったとか。

 

しかもその俳句が入選して、黒田杏子先生が丁寧に解説を書いてくれたのだといいます。

 

夏井いつき氏は、当時のことを「本当にうれしくて弟子入りできたような気持ちになり、そこから真剣に俳句に取り組み始めました」と振り返っています。

 

ただ、当時は元夫と離婚し、突然、俳句で稼ぐしかないという窮地に追い込まれた状況。

 

今ほど売れていたわけではなく、「スケジュールが白いのが恐怖で。家賃が払えず出ていかなくてはいけない夢を何度も見ましたよ」と振り返っています。

 

そんな夏井いつき氏も、必死で働くうちに道が開けることに。

 

やがて学校を中心に「句会ライブ」の声がかかるようになり、テレビやラジオの仕事も少しずつ増えていったということです。

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