2019年の24時間テレビで放送されるドラマ「絆のペダル」は、嵐の相葉雅紀が主演の実話を基にした物語。
原作はありませんが、ロードレーサー・宮澤崇史氏(みやざわたかし・41歳)の挑戦と、母親・純子さんとの絆を描いたオリジナル作品です。
キャストは、物語のモデルとなる宮澤崇史氏役を相葉雅紀、母親の純子さん役を薬師丸ひろ子、姉の妙子さん役を酒井若菜が務めます。
その他キャストに、田中圭、波瑠、藤井隆らが出演。
ドラマ「絆のペダル」のあらすじは、宮澤崇史氏が初めて自転車レースに出場することになったきっかけや、プロのレーサーを目指すまでの過程。
日本一まで、後一歩に迫ったところで、純子さんが肝臓の病に倒れ、宮澤氏が肝臓の移植を決意するという「母と息子の絆」が描かれています。
そこで今回は、物語のモデルである宮澤崇史氏が結婚した嫁は誰なのか。
また、離婚のウワサや、母親・純子さんの現在などについて調査してみました。
絆のペダルのモデル 宮澤崇史とは
ドラマ「絆のペダル」のモデルである宮澤崇史氏は、長野県長野市出身の元ロードレーサー。
実家は農家で、3歳の頃に初めて親が自転車を与えてくれたといいます。
以来、毎日のように自転車を乗り回していたそうですが、宮澤崇史氏は6歳の時に、家族の大黒柱である父親を病気で亡くしています。
父親の名前は幸弘さんといって、亡くなった時の年齢は41歳。
早くに父親を亡くした宮澤崇史氏は、その後、引っ越して、母親の純子さんと2歳上の姉・妙子さんとの3人暮らしを始めたのでした。
以来、母子家庭で育つことになるのですが、中学2年生の時、たまたまテレビで観た「ツール・ド・フランス」に衝撃を受けます。
「自分もこんなレースに出てみたい」と思った宮澤氏は、母・純子さんに「マウンテンバイクを買って欲しい」とせがんだのです。
しかし、母親の純子さんには、競技用の自転車を買える余裕はありません。
そこで、純子さんは思わぬ行動に出ます。
それは、自分の職場の同僚が通勤に使っていたマウンテンバイクでした。
純子さんは同僚に事情を説明し、頭を下げてマウンテンバイクを借りてきたのです。
そして、宮澤崇史氏は母親に誘われて、長野県飯綱高原で行われる自転車の競技大会に参加することになります。
といっても、本人にとって初めての自転車競技。
出場するのは大人ばかりで、子供の宮澤氏が勝てるはずがありません。
でも、結果はレース初挑戦にもかかわらず、出場者290名中27位。
なんと経験者たちを抑え、総合で27位に食い込んだのです。
宮澤崇史氏は、このレースをきっかけに、自転車競技にのめり込んでいきます。
それと、自分が頑張ることが、母親を喜ばせることにもなるので、余計気持ちに火がついたそうです。
宮澤崇史が母親のために生体肝移植
将来、プロのレーサーになる決意を固めた宮澤崇史氏は、中学を卒業すると、自転車部のある長野工業高校に進学。
そして、入学してすぐの5月、ヒルクライムレース「全日本マウンテンサイクリングin乗鞍(高校生部門)」に出場すると、いきなり優勝を飾ったのです。
しかし、好成績はこの時くらいで、強敵が集まる国体やインターハイなどでは、ほとんど良い結果は残せず。
このまま大学に進学して、自転車競技を続けるのも経済的に無理がありました。
そんな時、運良く日本高校選抜メンバーに選ばれ、ヨーロッパで行われる世界選手権(ジュニア部門)に出場することになります。
そして、世界選手権で22位という結果を出し、アマチュアのサイクル・クラブチームから誘われ、高校卒業後に上京。
その後、19歳の時に渡欧し、イタリアのアマチュア・エリートチームに所属。
フランス、イタリアを拠点に活動するとともに、日本代表に選出され、瞬く間にトップ選手へと成長を遂げていったのです。
そんな宮澤崇史氏が22歳の時、母親の純子さんが突然、病気で倒れたのです。
病名は「原発性硬化性胆管炎」。
この病気は難病で、医師から1~2年の余命を宣告されます。
それでも、肝臓を移植する「生体肝移植をすれば助かる」と、医師から聞かされた宮澤崇史氏は、自分がドナーになることを決意。
ただし、生体肝移植すれば、自転車競技に復帰するのが難しいことも告げられるのです。
だが、宮澤崇史氏は母親を助けるために、ドナーになることを申し出たのです。
一方、母親の純子さんは移植手術を拒否。
実は、純子さんも生体肝移植が息子の選手生命を絶ってしまう可能性が高いことを知らされていたので、子供の人生を犠牲にしてまで、自分は生きたくないと思っていたのです。
そんな母親に対し、宮澤崇史氏は、ロードレースを始めたきっかけを説明。
決して、自分の夢を叶えるためだけではなく、自転車をやってれば、また母親の笑顔が見れること。
だからどれだけ辛くても頑張ってこれたし、喜ばせるには自転車しかないので、死んだら意味がなくなると、純子さんに手術を受けてくれるよう説得したのです。
そして、シーズンが終わってから移植手術身が行われ、宮澤崇史氏は肝臓の半分を提供。
拒絶反応もなく、手術は無事成功したのでした。
宮澤崇史は結婚した嫁と離婚?
生体肝移植は、宮澤崇史氏にとってゴールではありませんでした。
手術から復活し、日本のロードレース界の頂点に登り詰めるという、これまで誰も成し遂げたことがない夢への挑戦。
その始まりにすぎなかったのです。
なので、宮澤崇史氏は、移植手術からわずか1か月後、リハビリを開始。
その後も厳しいリハビリに耐え、なんとかレースに出られるくらいまで回復したのです。
しかし、レースでは良い結果を残せず、所属していたチームを解雇されてしまいます。
それでも宮澤崇史氏は、あきらめることなく、単身フランスへ渡り、アマチュアチームに所属。
再び一から出直したのです。
そして移植手術から4年後にプロチームへ復帰。
2008年には、北京オリンピックの日本代表に選出されます。
その後もアジアチャンピオン、全日本チャンピオンのタイトルを獲得するなど、日本ロードレース界の頂点に立つと、2011年、33歳の時に結婚。
結婚した嫁の名前は、宮澤花菜子(みやざわかなこ)さんという人です。
(嫁の宮澤花菜子さん画像)
ただ、現在、宮澤崇史氏は、嫁の宮澤花菜子さんと離婚しているのでは?というウワサがあるようです。
というのも、嫁の宮澤花菜子さんは、アスリートフードマイスターを取得し、料理ブログを運営しているのですが、2016年12月15日を最後に更新がストップ。
さらに、もう1つのプライベート用ブログも、2016年09月21日を最後に更新が途切れているのです。
嫁の宮澤花菜子さんは、ブログを更新している時は、イタリアやタイ、日本を行き来しながらの生活を報告していました。
ところが、現在はどこで何をしているのかさえ分からない状態。
旦那の宮澤崇史氏も、嫁について一切、触れていません。
そういった理由が、離婚と結び付けられているのだと思います。
宮澤崇史と母親の現在
前人未到の偉業を成し遂げた宮澤崇史氏は、母親・純子さんとの約束を果たしました。
全日本選手権で日本一を手にした後は、34歳で世界のトップカテゴリーの「UCIワールドチーム」に所属し、ヨーロッパツアーでステージ優勝を果たします。
そして、2014年10月25日の大会を最後に現役を引退したのです。
ちなみに、生体肝移植の専門医によれば、移植手術をした後、トッププロとして復帰した例は宮澤崇史氏以外に知らないとのこと。
「絆のペダル」のモデル・宮澤崇史氏・の現役時代の戦績は、優勝回数19回、日本代表選出として世界選手権5回、オリンピック1回(2008年北京オリンピック)、アジアオリンピック2回。
現在は、クラブチームの監督として、選手の育成やレースの解説、自らの体験談を伝える講演活動を行っています。
また、2001年に肝移植手術を受けてから、18年になる母親の純子さんは、現在、長野の実家で元気で暮らしているそうです。