9月15日は、全身ガンを公表して逝去した女優・樹木希林さんの命日です。(享年75歳)
樹木希林さんは、亡くなる1か月前の8月17日、知人宅で転倒。
その際、大腿骨(だいたいこつ)を骨折したといいます。
その後、緊急手術を行い、成功したことが報じられていましたが、実は一時的に危篤状態に陥っていたとか。
そして、危機を脱し、少しずつリハビリができるくらいまで回復。
しかし、全身ガンを患っているので、いつ何が起こるか分からない状況だったようです。
当時、危篤状態に陥ったのも、ガン治療の影響があったからだとか。
そこで今回は、樹木希林さんの死因や生前行っていたガンの治療法。
目がおかしいと言われていた病気、宗教のこと、残した言葉(名言)についてまとめてみました。
樹木希林の死因
樹木希林さんの死因は全身ガンによるものでした。
2013年3月に全身ガンであることを初めて告白。
ガンの状況はステージ4の末期で、何度も再発や転移を繰り返していたといいます。
それでも元気な姿で仕事をこなしていた樹木希林さん。
本人は「生きていることが詐欺」と言って笑っていましたが、そもそも最初に体の異変を感じたのは、2003年のことだったそうです。
始めは、胸にしこりを感じたのがきっかけで、本人は乳腺炎だと思ったそう。
それに、世間で言われている乳ガンと感じが違うと思ったので、すぐ病院には行かなかったらしいのです。
それでも、翌年の2004年9月、状況的にみて乳ガンだろうなあと感じて、検査を受けることを決意。
そして、検査した結果、2センチ~3センチの腫瘍が見つかり、乳ガンと判明したのです。
すぐにでも治療しなければならなかった樹木希林さんは、その頃に依頼があった映画「星になった少年」の出演を断って、手術を受けることに。
(ちなみに出演予定だった映画「星になった少年」は、当時少年だった柳楽優弥が、カンヌ国際映画祭で主演男優賞をとった作品。)
ところが、結局、樹木希林さんが手術を受けたのは、翌年の1月だったそうです。
手術が4か月延びた理由は、暮れからお正月にかけて流れる「富士フイルムのCM お正月を写そう」があって、その責任を感じ、年が明けてから手術することにしたのだとか。
そうして1月、手術を決行。
なお、当日医師から「胸は残しますか」と問われた際、「どっちがやりやすいですか」と聞くと、「全摘出の方が簡単です」と言われ、全摘したということです。
樹木希林のガン治療法
樹木希林さんは大学病院で、乳ガン手術を受けたそうです。
乳ガン手術の方法は、部分的に切除する方法と、全部切除する方法に分かれるのですが、どちらを選ぶかは患者次第。
樹木希林さんは再発を考慮したのと、医師が手術しやすいようにと、全摘を選択したのです。
そして手術は無事に終わり、その後はふたたび女優業に復帰。
しかし、2008年に状況が一変したのです。
どんな状況なのかというと、手術で取り除いたガンが再発し、腸、副腎、脊髄などに転移しているのが発覚。
樹木希林さんは2013年3月、全身ガンであることを告白していますが、その後もガンは再発や転移を繰り返していました。
それでも元気に仕事をバリバリこなしていたのは、なぜなのか?
とても全身にガンが転移しているとは思えなかったのですが、その秘密について、「四次元ピンポイント照射治療の効果ではないか?」と言われています。
この「四次元ピンポイント照射治療」というガン治療法は、ガンの放射線治療法の一種で、患者からすれば非常に楽なガン治療だとか。
どのような方法なのか以下のように説明されています。
縦横奥行きの“立体的照射”に加え、呼吸などによる体の動きのタイムラグ、つまり“時間軸”を計算し、がん細胞を追尾しながらピンポイントで放射線を照射する。
樹木希林さんは、ピンポイントの放射線治療を受けるため、鹿児島にある「UMSオンコロジークリニック」まで通っていたといいます。
そうして樹木希林さんはガンと闘ってきたのですが、このピンポイントのガン治療法は保険適用外。
治療費は1回につき、200万~300万円ほどかかるといい、ガンが再発するたびに、ピンポイントのガン治療法を受けてきたそうです。
また、同じく「UMSオンコロジークリニック」は、2016年にすい臓ガンで逝去した九重親方、2017年に乳ガンで逝去した小林麻央さんが通ったことでも知られています。
ちなみに、乳ガンのステージ4でよく言われている生存率は、以下のとおりです。
1年生存率=84.5%、2年生存率=70.8%、3年生存率=59.4%、4年生存率=47.8%、5年生存率=38.6%。
樹木希林の言葉は宗教に関係?
樹木希林さんは宗教団体「希心会」の信者だったそうです。
希心会は、神奈川県の厚木に本部がある法華経系在家仏教教団で、元は霊友会。
さらに、霊友会から思親会へと分派し、そこから独立した団体になるそうです。
また、樹木希林さんの芸名に入っている「希」の文字は、希心会の一字を授かって付けたと言われています。
そんな宗教団体「希心会」には、芸能人では故・ジョー山中氏や浅田美代子、元宝塚女優・平みち、内田裕也らが信者に。
ほかにも、家族全員の入信が定められているため、娘の内田也哉子と夫で養子の本木雅弘なんかも、宗教団体「希心会」の信者なんだそうです。
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そして、樹木希林さんといえば、これまでさまざまな言葉(名言)を生み出したことでも、注目が集まっています。
そのなかでも特に、仕事や結婚といった人生についての言葉が人気なんだとか。
そこで、樹木希林さんは、生前にどんな名言を残していたのかを、以下にまとめてみました。
・結婚についての言葉
「結婚なんてのは若いうちにしなきゃダメなの。物事の分別がついたらできないんだから」
・病気についての言葉
「ガンはありがたい病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから」
「そういう意味で、ガンは面白いんですよね」
「私、自分の身体は自分のものだと考えていました。とんでもない。この身体は借りものなんですよね。でも、借りていたものをお返しするんだと考えると、すごく楽ですよね。」
・左目の視力を失ったときの言葉
「これで裏っかわにあるものを見ていくチャンスかな」
・人生についての言葉
「今なら自信を持ってこう言えます。今日までの人生、上出来でございました。これにて、おいとまいたします。」
「ありがたいというのは漢字で書くと『有難い』、難が有る、と書きます。人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか」
・仕事についての言葉
「私は女優の仕事にも別に執着があるわけじゃないの。それよりもまず、人としてどう生きるかが大事」
これらの言葉は、樹木希林さん独自の感性で語られたもので、一般人からすると中々出てこないフレーズばかりです。
宗教信者ならではの発想や感性が、このような名言を作り出したのかもしれません。
樹木希林の目がおかしいのは病気だから?
樹木希林さんの左目がおかしいと思ったことがあると思います。
その原因は網膜剥離で、左目の視力を失っていたからです。
もともと呼吸器系が弱く、ぜんそくを持っていた樹木希林さんは、2003年の1月、朝起きると目の前が真っ白な状態だったとか。
そして、その2か月後の3月頃には、完全に視力を失ったそうです。
その間の樹木希林さんは、右目だけで台本を読んでいたらしいのですが、セリフも覚えられない状態。
仕方なしに病院に行って、医師に相談すると、手術を勧められたといいます。
そこで、手術するかどうか迷ったという樹木希林さんは、体力に自信がないのを理由に、手術を受けなかったとか。
なんとも樹木希林さんらしい理由ですが、ほかにも「片目くらい失ってもいい」と思ったのだといいます。
ただ、樹木希林さんいわく、乳ガンになったことよりも、網膜剥離になって片目が見えなくなったときの方が辛かったとか。
医師から「もう片方もなるよ」と言われたときには、絶望感にかられたといいます。
それ以来、左目がおかしくなり、生前も病気の網膜剥離が原因で、左目の視力を失っていたのです。
では、実際、手術することは不可能だったのでしょうか。
そもそも網膜剥離という病気は、手術しても、元の視力に戻る可能性が低いそうです。
剥離が小さいうちに受診しレーザーによる光凝固手術を受ければ、進行を止めることができる。
複数回手術を受けるケースもあり、進行具合によっては別の手術も必要だ。はがれてしまった網膜を元通りにすることは困難で、ケースによっては手術前の視力に戻ることも難しい。
やはり、後からになって目の手術をして、視力を回復させることは難しかったようなのです。