☆この記事はこのような人におすすめです。
・2016年のシーズンで引退した黒田博樹投手の現在を知りたい。
・メジャーから広島に復帰し、2年で引退を決意した真相を知りたい。
・監督復帰など、今後の活動予定について知りたい。
2015年のシーズンから古巣・広島に復帰した黒田博樹(くろだひろき)投手でしたが、2016年限りで現役引退することを表明しました。
でもなぜ、シリーズ前の電撃発表になったのか?
その真相は、チームメイト新井貴浩選手のアドバイスが決意をもたらしたのだといいます。
そもそも黒田博樹投手は、2016年シーズン途中にユニホームを脱ぐことを考えていたとか。
リーグ優勝の達成感と肉体の限界を理由に引退することを、新井貴浩選手だけに伝えていたそうです。
新井貴浩選手からは「もう1年やらないんですか?」と言われたらしいのですが、意志は固かった。
現役続行しないことを決めていたのです。
それならと、新井貴浩選手が「シリーズ前に引退を発表して、引退試合として最後の雄姿をファンに見てもらったほうがいいんじゃないですか?」とアドバイス。
結果、黒田博樹投手は新井貴浩選手の言葉通り、シリーズ前に会見を開き、引退試合として最後の雄姿をファンに見せることを公言。
しかし、無情にも悲願だった日本一に届くことはなかったのです。
そんな黒田博樹投手は現在、吉本に所属していますが、今後の見通しはまだ立っていません。
分かっていることとしては、球団行事、年末のテレビ特番などをこなし、その後家族の暮らす米国に戻るそうです。
黒田博樹の現在
黒田博樹投手は引退後、しばらく忙しい日々が続いたそうです。
というのも現在、黒田博樹投手は吉本に所属。
テレビ出演などの窓口になっている吉本が「引退後は出演依頼が殺到していて整理するのが大変」とうれしい悲鳴を上げていたといいます。
そして、忙しいスケジュールをこなした後は、家族の暮らす米国に戻っていました。
渡米後は現地で大リーグ中継のゲスト解説などをこなしながら、野茂英雄や松井秀喜のように米国を拠点とし、活動。
また、日本での仕事があるときに来日するという形をとっていたそうです。
そして、一段落ついた後にようやく帰国し、自宅のある広島で生活。
ちなみに、2018年7月、西日本豪雨災害で広島県内に被害が出た時も黒田博樹投手は、義援金口座に1000万円を寄付しています。
黒田博樹の引退の真相
黒田博樹投手は1996年、ドラフト逆指名2位で広島東洋カープに入団。
さらに、2007年のオフに米大リーグ・ロサンゼルス・ドジャースと3年3530万ドルで契約を決び、カープ初の日本人メジャーリーガーとなったのです。
その後、2012年1月13日にニューヨーク・ヤンキースと1年1500万ドルで契約。
そして、ヤンキースとの契約期間が切れたことで、今後の去就に注目されることになります。
しかし黒田博樹投手は、メジャーの年俸20億円の巨額提示を蹴って、2014年オフに古巣カープへ復帰。
在籍した2年間、投手陣の精神的支柱としてチームを牽引していったのです。
※日米通算成績=533試合 203勝184敗1S 防御率3.51
※7年間のメジャー生活で通算79勝79敗、防御率3.45
引退の理由を肉体の限界と会見で言っていたように、黒田博樹投手はメジャー時代から首と肩の痛みに悩まされ、引退の年は満身創痍の状態。
「毎回、投げる試合が最後のつもりでマウンドに上がってきた」というのは、黒田博樹投手の名言です。
2、3年前から毎年引退を意識してきたという黒田博樹投手は、文字通り、いつ肩や肘が飛んでもおかしくない状態。
「一試合一試合、これが最後だと思って投げてきた」といいます。
そのため2016年シーズンは首、肩の痛みがひどくなり、ローテーションを飛ばさねばならないことが何度かあったとか。
緒方孝市監督と新井貴浩選手には『もうこれ以上投げる自信がない。若い選手に示しがつかない』と漏らしていたといいます。
なお、新井貴浩選手のアドバイスもあって会見を開いたわけですが、優勝経験がなかったことでの達成感と、肉体の限界が引退の理由だったのです。
もしチームが優勝争いをしていなければ、シーズン途中での電撃引退もあったというのが、黒田博樹投手の本心だったようです。
黒田博樹の監督復帰はある?
広島カープは、2016年限りで引退した黒田博樹投手の背番号「15」を永久欠番にすることを発表。
カープの永久欠番は山本浩二氏の「8」、衣笠祥雄氏の「3」に続き3例目となります。
そして気になるのが、今後の去就なのですが、球団側やファンは「指導者としてカープに残って欲しい」と熱望しています。
ですが、黒田博樹投手は以前、ユニホームを脱いだ後のことについて、このようにコメントしているのです。
『ずっと先のことはわからないけど、コーチ業は大変な仕事だろうし、今は考えられない。コーチをやらなくてもいいくらいのお金を稼げるように、一生懸命やっている』
その言葉通り、これまでの黒田博樹投手はプロでおおいに稼いできました。
プロ1年目の年俸1300万円に始まり、最高はヤンキース時代の14年の1600万ドル(約16億6000万円)。
プロ20年間の総収入は約120億円(推定)に上るといいます。
一生遊んで暮らせるだけのカネを手に入れているので、今後しばらくは野球から離れ、自宅で家族とのんびり過ごすつもりのようです。