☆この記事はこのような人におすすめです。
・フライデーが報じたYOSHIKIと工藤静香の熱愛について知りたい。
・YOSHIKIと工藤静香の馴れ初め、破局理由を知りたい。
・YOSHIKIの父親や弟について知りたい。
YOSHIKIと工藤静香のフライデー画像
X japanのYOSHIKIと工藤静香は、1994年にフライデーが報じたことで熱愛が発覚しました。
また、2人の破局理由もフライデーが原因だったようなのです。
フライデーが2人の交際を報じたときの記事によると、工藤静香は彼氏の的場浩司との破局後、YOSHIKIと親密な関係になったと書かれています。
当時、YOSHIKIはロスを拠点に生活中。
そのロスの自宅に工藤静香が、約2か月間入り浸っていたそうです。
そしてある日、2人がロスの日本料理屋で行われたパーティに出席したとき、事件が発生。
YOSHIKIと工藤静香は、酒を飲んだまま車を運転して店を後にしたのです。
その帰り道、YOSHIKIが捕まったのがきっかけで、同乗者に工藤静香がいたことが判明。
その後、この事実が日本のマスコミにバレたことによって、2人の交際が発覚したのです。
この件に関してYOSHIKIは工藤静香との交際を否定しませんでした。
そして、工藤静香を待ち構えたフライデーが成田空港へ帰国した際の写真を記事に掲載したのです。
(成田空港に到着した工藤静香)
結局、2人の交際はYOSHIKIが捕まったことで発覚。
その後も2人の関係は続いていましたが、いつの間にか破局を迎えます。
破局理由はYOSHIKIの浮気だったといい、激怒した工藤静香はYOSHIKIと別れてキムタクと交際。
そして、工藤静香はキムタクと2000年に結婚し、2人の娘(心美、光希)を出産。
以来、幸せな結婚生活を送っていましたが、現在はというとSMAP解散騒動の元凶と言われ、波紋を広げています。
工藤静香が木村拓哉を説得?
木村拓哉と工藤静香は、SMAPが解散して以来、世間で裏切り者扱いされています。
当初はSMAPの元チーフマネージャー飯島氏と、メンバー全員の独立が決まっていたところ、木村拓哉だけが事務所に残ることを発表。
このことで「工藤静香が木村拓哉を説得した」と報道されたのです。
しかし、この件に関して工藤静香は「私にそんな力はないです」、「私とSMAPは何の関係もない」などと、否定。
また、木村拓哉が裏切り者扱いされていることに、「誰かが裏で仕組んでるのかなって思っちゃう」と、思わず本音を漏らしたといいます。
工藤静香によると、当時、木村拓哉は「SMAPの25周年コンサートは何があってもやり遂げたい」と言って、一生懸命だったとか。
「それなのに、どうして私たちが“裏切り者”呼ばわりされなきゃならないの!」と怒りをあらわにするひと幕もあったそうです。
では、誰が木村拓哉を裏切り者扱いに仕向けたのか?
その人物は、「芸能界のドン」と称されるバーニングプロダクション社長・周防郁雄氏。
キムタクが事務所に残ったのは、影響力のある周防郁雄氏の「差し金」によるものだったようなのです。
YOSHIKIと工藤静香の馴れ初め
2人の交際は、ロスにある日本料理屋で行われたパーティに出席した後、YOSHIKIが捕まったのがきっかけで発覚。
その後、YOSHIKIの運転するフェラーリに、工藤静香が同乗していたことがフライデーに伝わり、お互いに交際を認めたのです。
そんな2人の馴れ初めは、1992年に行われたテレビ番組の対談です。
その後、歌番組などで共演したりして、徐々に親密な関係になっていき、交際に発展。
しかも、YOSHIKIの彼女になった工藤静香は、恋愛にうつつを抜かして仕事を休みがち。
そのため、所属していた事務所「プロダクション尾木」を追い出される形となり、2015年に退社しています。
退社後の工藤静香は、芸能活動を続けるために、個人事務所設立を余儀無くされることになります。
その社名を決めるのに、彼氏のYOSHIKIからアドバイスを受けたということです。
工藤静香の事務所には、YOSHIKIが好きな赤色から「レッドゾーン」、工藤の好きな青色から「ブルーゾーン」が社名の候補に挙がったのだとか。
悩んだ結果、2色を混ぜたら紫色になることから「パープルにする?」となって、現在の事務所「Purple Inc.」が誕生したそうです。
そして、その後も交際は順調に進み、結婚は秒読みかと思わていたのですが、突然、2人の別れが訪れます。
1996年1月、工藤静香が「彼とはもう会っていない」と突然の破局宣言をしたのです。
破局理由は、数カ月前にフライデーが報じた記事だったとか。
フライデーがYOSHIKIに別の外国人女性の彼女がいることを報じたことで、工藤静香が激怒。
YOSHIKIは工藤静香に浮気がバレてしまったのです。
結局、2人の破局理由は、「YOSHIKIの浮気が原因ではないか?」と言われていますが、真偽のほどは定かでないようです。
YOSHIKIの父親の死因
YOSHIKIの出身は千葉県館山市。
呉服屋の長男として誕生し、元俳優の林光樹は弟にあたります。
(YOSHIKIの弟の林光樹)
余談ですが、工藤静香はYOSHIKIと破局後にキムタクと結婚して、2人の娘を産んでいますが、次女にはYOSHIKIの弟と同じ名前を付けています。
長女の心美はキムタクが付け、次女には自分が付けると言って光希という名前を付けたそう。
漢字こそ違いますが、読み方は同じ”ミツキ”。
果たして偶然だったのでしょうか?
話は戻り、YOSHIKIは裕福な家庭環境で育っていますが、幼少期は体が弱く、小児喘息を患い入退院を繰り返していたといいます。
4歳でピアノを始めたYOSHIKIは、両親から愛情を一身に注がれ、過保護に育てられたとか。
そのころの父親はよくジャズピアノを弾いていたといい、YOSHIKIは父親が買ってくれるクラシックレコードで音楽への興味を広げたといいます。
また、父親はYOSHIKIの誕生日には毎年、楽器を贈っていたそうです。
ところが、好きだった父親が76年8月、34歳という若さで死去。
YOSHIKIが10歳の時、突然帰らぬ人となってしまったのです。
原因はいまだ分からないそうですが、父親の死因は自ら命を絶ったこと。
また、父親が亡くなった原因と関係しているのかは不明ですが、YOSHIKIは「悲しみでひたすら泣きわめいているだけだった」とその当時を振り返っています。
その後、自身も自暴自棄になってしまう時期に支えとなったのが、父親が教えてくれた音楽でした。
そして、1993年に生まれたX japanの代表曲「Tears」は、いまだ亡くなった原因の分からない「父親との思い出を形にした曲だった」と語っています。