2014年に急逝した料理研究家の小林カツ代さん(享年76)。
小林カツ代さんのレシピは、亡くなって数年が経過するにもかかわらず、現在も売れ続けているそうです。
また、長男で息子の料理研究家・ケンタロウ氏ですが、2012年に首都高でバイク事故を起こし、寝たきり状態に。
そのことを知らされることなく、母・小林カツ代さんは他界したということです。
なお、息子のケンタロウ氏は、事故当初は言葉もほぼ話せず、寝たきりの生活。
でしたが、現在は介護スタッフに支えてもらいながらも、少しだけ歩けるようになっているとか。
いまのところ完全復帰とまではいかないようですが、車椅子生活を送っていて、嫁のマキさんと二人三脚でリハビリに励んでいるそうです。
ちなみに、小林カツ代さんは旦那と離婚していました。
原因は、すれ違い生活と旦那が愛人を作っていたこと。
息子のケンタロウ氏いわく、両親の離婚理由について、母・小林カツ代さんの口から語られることは一度もなかったということです。
そこで今回は、小林カツ代さんの息子・ケンタロウ氏の現在などについて、調査してみました。
小林カツ代さんの死因
料理研究家の小林カツ代さんが一躍有名になったのは、1994年、当時人気料理番組『料理の鉄人』に出て、中華の鉄人・陳建一に勝利したことでした。
このときは“じゃがいも”をテーマにした料理対決で、カツ代流のフライパンで煮た肉じゃがで、見事勝利を収めたのです。
その後の小林カツ代さんは、取材やテレビ出演、講義や執筆、ボランティア活動までと、ほとんど休みなしで働いたとか。
そんな超多忙時期に、突然、病を患うことになります。
小林カツ代さんは、2005年8月に「くも膜下出血」で倒れ、以来、療養生活を送ることになります。
そして、最後は自宅から離れ、施設で療養生活を送っていたのですが、2014年1月23日に他界。
死因は多臓器不全でした。
小林カツ代の息子 ケンタロウの現在
小林カツ代さんは、2005年8月に「くも膜下出血」で倒れてからは、再び公の場に姿を現すことはありませんでした。
そして、追い打ちをかけるように、2012年2月、息子で料理研究家のケンタロウ氏が首都高でバイク事故を起こしたのです。
その際、ケンタロウ家族は、療養中の母・小林カツ代さんに心配をかけたくないとの思いから、事故のことは知らせなかったとか。
また、息子・ケンタロウ氏の方はというと、幸い一命は取り留めたものの、重い障害を負うことになります。
事故後のケンタロウ氏は、両手足の麻痺のため寝たきり状態で、食事も鼻からチューブで取っていたそうです。
その後は、食事を送り込む穴をあける“胃ろう”手術を受けることになり、術後は嫁のマキさんと二人三脚でリハビリに励んだのでした。
そして、懸命なリハビリのおかげで病院を退院。
1年後には、介護スタッフに支えながら少しだけ歩けるようになり、車椅子で生活できるまでに回復したということです。
現在、ケンタロウ氏に関して復帰の声は聞こえてきませんが、妻のマキさんが自宅で介護しているということです。
小林カツ代が旦那と離婚した理由は?
小林カツ代さんがくも膜下出血で倒れた当初は、息子のケンタロウ氏が面倒をみていたといいます。
しかし、バイク事故以降は面倒をみれなくなったため、代わりに長女が看護をしていたそうです。
そんな小林カツ代さんは、21歳のころ、薬を開発する研究員だった一般人と結婚。
28歳のときに、家庭料理研究家として活動し始めたのです。
すると、大阪でのレギュラー番組を持つほどになり、週に2度自宅のある東京と大阪を往復。
それでも、旦那への愛情の深さは変わることはなかったといいます。
そして、1971年、34歳のときに長女、35歳で息子・ケンタロウを出産。
ただ、このころの小林カツ代さんは、すでに売れっ子だったので、仕事を続けることを決意します。
しかし、夫婦は別居してしまったのです。
別居は、小林カツ代さんの多忙が原因で、夫婦はすれ違い生活。
また、このとき旦那には20才近く年下の愛人がいたのだといいます。
小林カツ代さんは、その時はまだ旦那に愛人がいることを知らなかったそうですが、その後、旦那が愛人との再婚を決めたことにより、2003年に離婚。
以来、小林カツ代さんの口から旦那と離婚した理由などが語られることは、一度もなかったということです。
それに、小林カツ代さんが亡くなるまで離婚のことを言わなかったのは、仕事が関係していたからなのかもしれません。
家庭料理を紹介している身分なのに、夫に愛人が出来て「熟年離婚した」なんて、とてもじゃないけど告白できなかったのでしょう。
結局、小林カツ代さんは、倒れてから認知症を患ったりして、息子の事故のことをきちんと理解できない状態だったとか。
しかし、料理のレシピには、2人の子供たちの思い出の味が詰まっているのです。