☆この記事はこのような人におすすめです。
・自作自演で指を切断し、誘拐事件を演じた小田嶋透の父親について知りたい。
・小田嶋透の出身高校や経歴を知りたい。
・小田嶋透が誘拐した営業マンがどこの証券会社なのかを知りたい。
自称・デザイナーの小田嶋透(おだじまとおる)が犯した自作自演の虚偽誘拐事件は、巨額の詐欺事件に絡んだ強盗殺人事件を隠蔽するためでした。
小田嶋透の手口は、証券会社の営業マンに複数の顧客から金を集めさせた後、殺害。
遺体を隠して、その証券マンの犯行に見せかけるというものです。
この計画を1996年2月5日に実行し、1990年にも似たような手口で投資顧問業者の失跡に関与。
しかし、遺体が発見されたのは証券マンだけで、結局、投資顧問業者の失跡では起訴されていません。
そこで今回は、「父親が大手化粧品会社の重役」と噂されている小田嶋透の家族などについて調査してみました。
小田嶋透の家族
小田嶋透の自宅は神奈川県葉山町下山口にある豪邸。
家族に子供がいたのかは分かっていませんが、自宅では妻と暮らしていたようです。
しかも、ほとんど仕事をしてなかったのに不定期で妻に100万円渡し、愛人には家賃20万円のマンションを提供。
高級外車を何台も所有するという派手な生活を送っていたのです。
そして1996年11月、小田嶋透は突如、失踪をくわだてます。
誘拐されたフリをし、身代金要求の脅迫状と一緒に切り落とした自分の指を自宅に送りつけたのです。
小田嶋透が誘拐した営業マンはどこの証券会社?
小田嶋透が自分の指を切り落してまで誘拐の偽装工作をしたのには、理由がありました。
その理由は、証券マン失踪事件の重要な容疑者だったから。
同じ年の2月、証券会社の課長代理が顧客から多額の現金を預かったまま失踪するという事件が起きていたのです。
なお、この課長代理がどこの証券会社に務めていたのかというと、会社の名前は「東和証券」。
小田嶋透は、東和証券渋谷支店営業課長代理の西村秀に「インサイダー情報がある」と儲け話を持ち掛け、金を集めさせた後、殺害。
借りていた別荘近くの長野県富士見町の山林に遺棄していたのです。(小田嶋透が借りていた別荘の場所は山梨県小淵沢町)
誘拐事件の被害者を自作自演したのも、東和証券の西村秀殺人の疑いが晴れると思ったからなのです。
小田嶋透の父親は化粧品会社の重役?
小田嶋透の父親は、大手化粧品メーカーの重役だったという噂があります。
日本の大手化粧品会社といえば、「資生堂」、「花王ソフィーナ」、「カネボウ」、「コーセー」、「ポーラ」などが思い浮かびますが、はたして父親はどこの会社の重役をしていたのでしょう。
実は小田嶋透の父親が大手化粧品メーカーの重役だったという噂はガセで、本当は小学校教員。
母親も同じで、実家の両親は共に小学校教員だったのです。
ではなぜ、そんな噂が広まったのでしょうか。
そもそも小田嶋透は、フランスの「アカデミー・ジュリアン美術学校」に入学し、絵画やデザインを学んでいました。
しかし、美術学校を中退し、靴磨きをしながらフランスに滞在。
その後、美術学校を卒業したことにして帰国し、大手化粧品会社に役員として就任しています。
「フランスに留学していたのだから、裕福な家庭の生い立ち」と勘違いされ、帰国後は大手化粧品会社の役員就任。
この経緯からして、「きっと父親がコネで息子を役員にしたに決まっている」となって、父親が大手化粧品会社の重役という噂が広まったのではないかと思われます。
小田嶋透の高校や経歴
小田嶋透は、昭和32年北海道紋別市で生まれ。
出身高校は、北海道旭川西高等学校です。
小田嶋透が通っていた当時は不明ですが、現在の旭川西高校は、北海道旭川市にある公立の進学高校で偏差値は59~60。
有名人の卒業生には、乃木坂46の元メンバー・橋本奈々未がいます。
(乃木坂46の元メンバー・橋本奈々未)
そして、小田嶋透の経歴はというと、旭川西高校を卒業後、東京芸術大学の受験に失敗。
その後は先ほどの説明にもあるように、フランスに留学し、アカデミー・ジュリアン美術専門学校に入学。
中退後、靴磨きをしながらフランスに滞在。
帰国後は、デザイン関係の会社や大手化粧品会社に入社するも、いずれも長続きせずに退職しています。
他にも靴の販売店などの事業を起こして失敗。
株でも1億円以上の損失を出すという、成功者とは逆の人生を歩んでいたようです。
小田嶋透の現在と投資顧問業者失跡事件
小田嶋透は、ウソの経歴で人をだますのが得意でした。
東和証券の西村秀に「自分は松任谷由美やB’zなどの作詞作曲をゴーストライターとして手掛けている」、「人気の車(キューブ)のデザインも自分がした」と言って、信じ込ませていたといいます。
愛人や妻にも「芸能界関係者」とウソをついて羽振りの良さをアピール。
結果、全員が「芸能界はそういう所だと思っていた」と疑わなかったそうです。
そして、逮捕後の小田嶋透ですが、裁判で無期懲役が確定。
現在も刑務所に服役中なのですが、小田嶋透には、投資顧問業者の失跡事件にも関与の疑いがあるのです。
この「投資顧問業者失跡事件」というのは、1990年11月、金融会社「新誠商事」社長の荒居修が行方不明になった事件。
荒居修は、洋酒メーカーサントリーの未公開株が上場するという架空の株式上場話を持ち掛けて、都内の会社社長から4憶5千万円を徴収。
指名手配された後、失踪したのです。
しかも、荒居修は行方不明になる前、内縁の妻に遺書らしきものを託していたといいます。
そこには「自分に何かあったら小田嶋に聞いてほしい」と書いてあったとか。
まさに、東和証券の西村秀のケースとまったく同じ手口だったのです。