JR福知山線脱線事故は、2005年(平成17年)4月25日に発生し、運転士を含む107人が死亡、562人が重軽傷を負いました。
鉄道事故としてはJR史上で最悪。
戦後の鉄道事故でも死者数が4番目となったのです。
なお、事故の原因は制限速度を大幅に超えるスピードで急カーブに進入したため、快速電車が脱線。
当初は、「白い車が電車と衝突したのが脱線した原因」というような報道が飛び交いましたが、この情報は同日の昼過ぎには無かったことにされていました。
なぜ、そのような情報が錯誤したのか謎ですが、電車と衝突した現場に白い車が残っていたから勘違いされたのだと思われます。
そして、事故現場となった場所なのですが、電車は兵庫県尼崎市の福知山線「塚口駅~尼崎駅間」で脱線。
衝突したマンションは、10年以上、ほぼ事故直後の状態にされていましたが、2016年から一部解体工事を始めたのです。
なお、マンションの今現在はというと、9階建てだったのを4階までに残し、衝突跡が残る部分などを保存する工事に着手。
合わせて、マンションの東側に慰霊碑、広場南東には管理棟を設け、事故についての資料室を作る工事を行ったのです。
そこで今回は、老婆の「乗るな!」という助言で電車に乗らなかった女性の話や、事故の原因と言われている白い車などについてまとめてみました。
福知山線脱線事故で乗るなと老婆が助言
JR福知山線脱線事故は、事故を目撃した通りがかりの女性によって二次災害を防ぐことができました。
女性は、対向列車が来ると危ないと思い、踏切に設置されている非常ボタンを押したのです。
おかげで対向列車の運転士が気付くことができ、事なきを得たのですが、このJR福知山線脱線事故では、別の意味で事なきを得た人物がいたそうです。
新聞には「この電車に乗ってはいけない 老婆に降ろされ危機一髪 」の見出しが。
記事には謎の老婆が事故を予言し、乗るはずだった女性が電車に乗らなかったという内容が書かれていたのです。
新聞に掲載されていた文面は以下の通りです。
鹿児島県在住の女性(22)は25日、交際相手の男性(25)に会うため事故を起こした快速電車に乗っていたが、オーバーランした伊丹駅で 「この電車に乗ってはいけないと」叫ぶ60~70代の老婆に突然、腕を引っ張られ電車からひきずり降ろされた。
「携帯電話の電源も切りなさい」と言われたため従ったが、ホームで事故のアナウンスを聞いて振り返ると、すでに老女の姿は消えていたという。
その後、女性は老婆が自分を事故から救ってくれたと考えて警察に「探して下さい」とお願いしているという。
上記のことに関してですが、真偽のほどは謎で、今現在もこれ以上の詳細は分かっていません。
ただし、乗るなと言われたのが本当ならば、女性は老婆のおかげで事なきを得たことになります。
福知山線脱線事故は白い車が原因?
「JR福知山線脱線事故」は、2005年4月25日午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市で宝塚駅発同志社前駅行き上り快速電車が脱線するという、最悪の事故となりました。
当初は白い車(ワゴン車)と追突したのが事故原因と思われたのですが、検証した結果、運転士のブレーキのかけ遅れと、速度超過が直接の事故原因と結論付けられたのです。
当時、電車の運転士・高見隆二郎さんは23歳と若く、乗務歴が11か月と経験が浅かったとか。
快速電車は制限速度70キロを大幅に超え、右カーブには約116キロのスピードで進入。
常用ブレーキをかけた後、最も強い常用ブレーキをかけたようですが、左に転倒しながら脱線したのです。
さらに、経験の少ない運転士が事故当日、何度も速度超過で非常ブレーキを作動させていたことが判明。
事故直前、電車は午前9時4分前後に出発し、時速約120キロで北伊丹駅を通過。
次に停車する「伊丹駅」でオーバーランを起こしていたのです。
そのため、伊丹駅の出発は約1分20秒の遅れ。
電車が猛スピードを出したのは、運転士が運行ダイヤの遅れを取り戻そうとしていたからでした。
運転士がそこまで必死になっていたのは、会社の教育が原因だとされています。
当時、JR西日本では、ミスを犯した社員には厳しい指導が課せられていました。
事故を起こした運転士もまた、過去にミスを犯したことで、一日中文書を書かされたり、事情聴取を受けるなどしていたそうです。
それに、運転士は「今度ミスをしたら運転士をやめさせられるかもしれない」と語っていたこともあったとか。
そのこともあって運転士は、事故直前にオーバーランのことが気になり、車掌と指令員との無線に気を取られブレーキ操作が遅れたと考えられています。
また、乗務後、「上司にどう報告するかということしか頭になかったのではないか?」と、その他の運転士らが取材に答えています。
さらに、JR西日本に対して、問題視されたのが「ATS-P」。
「ATS-P」は、カーブなどで速度超過を防ぐ機能がある新型の自動列車停止装置のことで、脱線事故当時、JR福知山線には整備されていなかったのです。
ATS-Pの整備計画は、もともと2004年には完成する予定が遅れてしまい、使用され始めたのは事故後の2005年6月のことでした。
福知山線脱線事故のマンションの場所と現在
JR福知山線の快速電車が脱線した場所(現場)は、兵庫県尼崎市の塚口駅~尼崎駅間で、住所は尼崎市久々知。
事故が起きた場所(現場)の近くには、ダウンタウンの松本、浜田の母校「尼崎市立大成中学校」もあります。
出典元:JR西日本ホームページより
そして、大勢の尊い命が失われるという大惨事となったこの「JR福知山線脱線事故」は、電車が線路脇のマンションに衝突し、救助活動が極めて困難な状況に。
救助には地元の尼崎市消防局などを含め県内、県外から応援隊が駆けつけ、夜を徹して救助活動を行ったのです。
他にも、マンションから約50メートル離れたところにある産業機械メーカー「日本スピンドル製造」が事故後、従業員約250人総出で駆けつけ救助にあたったのでした。
また、事故の規模からして人手不足になると判断し、滋賀県から事故現場に駆けつけた医師もいたそうです。
この医師は、誰から要請されたわけではなく、自らの意志で事故現場に駆けつけ、救助活動に携わったのですが、救助活動後に取材や講演の依頼が殺到。
病院にいる時間が少なくなったことでほかの医師らから中傷、罵倒されるなどし、うつ状態に陥り、翌年5月、自ら命を絶ってしまったそうです。
なぜ、医師はこんな目に遭わなければならなかったのか?
業務上過失致死傷罪で強制起訴された「JR西日本」の歴代社長4人全員の無罪が確定するなど、世の中の風潮には疑問ばかり残ります。
(解体後のマンション)
また、解体工事中のマンションに関しても、建物全体の保存を望み、解体に反対する遺族や逆に撤去を求める声もあったとか。
結果、JR西日本は9階建てのうち、衝突跡を含む4階までを残すことに決めたのです。
遺族や負傷者へのアンケートを経た結果なので致し方ないのですが、撤去を求めた遺族のことを思うと、居たたまれない気持ちになります。