日本相撲協会を引退し、妻の河野景子と離婚した元貴乃花親方。
現在は「Megu Entertainment」とマネジメント契約を結んでテレビ番組などに出演しています。
「Megu Entertainment」は、同社の社長とかねてより親交があったことから契約に至ったそうなのですが、この事務所は以前まで息子の花田優一が所属していたのだとか。
ということは、息子は父親・貴乃花の口利きで芸能活動できていたことになります。
そんな貴乃花には、息子以外に2人の娘(子供)がいます。
結婚していた時の家族構成は、元妻の河野景子、息子・花田優一、そして長女と次女。(画像あり)
娘に関しては、兄の優一が一緒にお風呂に入っていることなどを告白して話題になったのです。
そこで今回は、貴乃花の娘の名前や留学先の学校、離婚して親権を夫妻のどちらが持ったのかを調査してみました。
貴乃花の娘(長女)の名前
貴乃花と元フジテレビアナウンサーの河野景子は、1995年5月に結婚。
当時の貴乃花は22歳、河野景子は当時30歳で、8歳の年の差がありました。
また、その2年前はと言うと、貴乃花は、当時19歳だった宮沢りえと婚約を発表し、世間を驚かせたのです。
ところが、婚約会見から2か月後の1993年1月、貴乃花は「愛情がなくなりました」と語り、婚約破棄を発表。
一度ならず二度までも世間を騒がせた貴乃花は、その2年後にフジテレビのアナウンサーだった河野景子と食事会で知り合い、結婚したのです。
その後、1995年に第1子となる息子の優一が誕生。
2000年4月に第2子となる長女、2002年4月に第三子となる次女が誕生し、1男2女の子供を授かります。
《息子・優一と娘(長女)の画像》
ただ、第2子を妊娠したとき、河野景子は貴乃花の母親・紀子さんに報告しなかったとか。
紀子さんは、息子夫婦に第二子ができたことを報道で初めて知り、激怒したそうです。
そして、娘2人の本名ですが、2000年4月に誕生した長女は花田晏佳(はるか)、2002年4月に誕生した次女は花田晃帆(あきほ)と言って、現在2人は成人しています。
あと、娘2人の名前に関してですが、息子の名付け親が貴乃花の母親・紀子さんだったことに対して、2人の娘は河野景子が名付けたそうです。
貴乃花の娘の留学先は?
貴乃花の娘が通っていた学校ですが、2人とも兄の優一と同じ青山学院だそうです。
花田優一は、難関受験を突破して青山学院幼稚園に入園。
青山学院幼稚園といえば、元横綱や元大関の子供が何人も通ってきた“角界御用達”の名門学校で、幼稚園から大学までエスカレータ式で進学できます。
ところが、優一は青学の高等部に進学せず、15歳で単身アメリカに語学留学。
その後、18歳になるとイタリア・フィレンツェに移住し、3年間、靴職人として修行に励んだとされています。
また、息子の優一が相撲界へ進出せず、靴職人になったのは、アメリカに留学中、「世界で愛される”靴”を自らの手で作りたい」と思ったからだとか。
そもそも優一が靴職人になったきっかけは、小学校1年のとき、家族旅行で訪れたイタリア・フィレンツェで、職人の仕事風景に魅了されたため。
両親も息子が生まれた直後から、“子供を力士にして苦労させたくない”と言っていたそうです。
教育方針も“狭い日本で学歴にとらわれるより、早く海外に出て生きるための技を身につけよ”というもの。
そのため長女はバスケットボールに熱中し、アメリカに留学。
次女もバレエを習っていたそうですで、同じく渡米し、留学しています。
貴乃花の子供の親権は元妻?
貴乃花の娘2人がどこの学校に留学したのかまでは分かりませんでしたが、結局、子供3人とも、アメリカ留学したことになります。
それに、それぞれ進む道は違うようですが、通っていた学校は青山学院だったのです。
では、当時未成年だった娘の親権は、離婚した貴乃花と元妻・河野景子のどちらにあったのでしょうか?
普通なら母親の河野景子が持つと思うのですが、調べたところ親権は、父親の貴乃花が持っていたことが分かりました。
そもそも貴乃花と河野景子の離婚理由は、息子の優一のタレント活動を巡って、考えの違いがあったこと。
さらに、相撲協会に退職届を提出したことへの考えの違いなどが取り沙汰されています。
ただ、報道によると、貴乃花は娘の留学時期が決まってから、離婚の意思を伝えようと決めていたそうです。
そして、子供の親権を貴乃花が持ったのには、娘に対してそれなりの配慮があったのだといいます。
というのも、貴乃花は娘2人の名字が変わらないように自分が親権を持つことにしたのだとか。
ただし、一緒に住むわけではなく、それぞれ留学先から帰国すれば、その後は生活面を考えて母親と暮らすことになるようです。