☆この記事はこのような人におすすめです。
・島倉千代子さんと細木数子さんの関係について知りたい。
・島倉千代子さんが生前に抱えていたトラブルについて知りたい。
・島倉千代子さんが結婚した夫(旦那)や子供について知りたい。
2013年11月8日に死去した歌手の島倉千代子さんといえば、「東京だョおっ母さん」、「人生いろいろ」など数々のヒット曲を残しました。
死因は肝臓がんで、亡くなる3年前に発症し、入退院を繰り返していたそうです。
なお、島倉千代子さんの墓は、生前あらゆる面で相談をしてきた住職がいる東京都品川区の東海寺に建てられています。
歌手としては順風満帆の人生だった島倉千代子さん。
しかし私生活は波乱万丈な日々で、1963年に結婚した元阪神タイガースの藤本勝巳氏と5年で離婚。
3度の中絶を経験し、とうとう子供ができなかったのです。
さらに島倉千代子さんを悩ましたのが「借金問題」でした。
30歳代に知人の保証人になったことなどが原因で、多大な借金を負ったことはあまりにも有名な話。
気立てがいい島倉千代子さんは知人の保証人になり、総額で10億円以上の借金を背負ったのです。
そこで今回は、島倉千代子さんが生前に結婚した旦那(夫)や子供のこと、細木数子さんとの関係について深堀していこうと思います。
島倉千代子が結婚した夫(旦那)と子供
島倉千代子さんの元夫(旦那)は、25歳のときに結婚した元阪神タイガースの藤本勝巳氏。
元夫(旦那)の藤本勝巳氏は、1956年から1967年まで阪神に在籍し、4番を打つなど豪快な打撃が印象的な選手でした。
中でも、1960年は本塁打王(22本塁打)、打点王(76打点)の二冠を獲得。
後にレギュラーから外れて控え選手になり、1967年、30歳のときに引退。
(島倉千代子さんと元夫の藤本勝巳氏)
引退後はスナック「ジャガー」など水商売に手を出すも、経営が上手くいかず失敗に終わっています。
ちなみに、このとき藤本勝巳氏が背負った借金が原因で離婚したとされています。
また、島倉千代子さんの子供ですが、藤本勝巳氏と婚姻中、3度の中絶を経験。
結局、子供はできなかったのですが、産むことへ憧れがあったので、代わりに姉の子供を可愛がっていたそうです。
そんな島倉千代子さんなので、自分が中絶した子に対しても供養するために水子地蔵を常に持ち歩いていたとか。
それに余談になるのですが、「積木くずし」のモデルとなった穂積由香里さんは、唯一心を許したのが島倉千代子さんだったといいます。
(積木くずしに出演の島倉千代子さん)
島倉千代子さんは生前、俳優の穂積隆信さんと親交があり、テレビ「積木くずし」にも本人・島倉千代子役で出演していました。
テレビシーンにもありましたが、子供がいない島倉千代子さんは、非行少女でも穂積由香里さんのことを信用し、親身になって相談に乗ったりしていたから、唯一心を許す相手だったのです。
島倉千代子の晩年
結局、島倉千代子さんの結婚生活はわずか5年で幕を閉じています。
離婚後、一旦家族の元に帰るも、追い返されてしまいます。
理由は、藤本勝巳氏と周囲の反対を押し切って結婚したから。
家族から絶縁されてしまった島倉千代子さんは自分の戸籍をつくったのです。
そして、めげることなく歌い続けるのですが、1993年、55歳のときに初期の乳癌が判明。
しかも放射線治療の影響で声が出なくなったこともあったといいます。
そんな島倉千代子さんの晩年は、治療を終えた後も歌い続け、2010年に肝臓がんが発覚。
その後は手術、入退院を繰り返していましたが、容体が悪化し、2013年11月8日午後0時30分、肝臓がんのため死去したのでした。
島倉千代子の生い立ち
島倉千代子さんの生い立ちを簡単にまとめると、出身は東京品川区。
1938年、二男四女の四女として誕生しました。
そんな島倉千代子さんは、幼い頃から歌手を目指していたといいます。
姉に歌を習い、13歳のときには地元商店街を盛り上げようとバンドを組み、ボーカルを担当。
その後、歌謡コンクールで優勝し、16歳のときにデビュー。
デビュー曲「この世の花」は200万枚の大ヒットを記録し、その後も「東京だョおっ母さん」、「人生いろいろ」などのヒット曲を世に送り出したのです。
さらに史上初のNHK紅白歌合戦に30年連続出場を記録するなど、昭和の歌謡界を代表する歌手として活躍。
一方、私生活では、借金問題を筆頭にさまざまなトラブルに巻き込まれていたのです。
島倉千代子の借金問題を細木数子が持ち逃げ?
島倉千代子さんを悩ませた借金問題は1975年から始まります。
知人やマネージャー、顔を知らない人などの保証人になったことで、莫大な借金を背負うことになったのです。
その額は16億円。
と言われていますが、正式な総額は分かっていません。
また、2021年11月8日、呼吸不全のため亡くなった細木数子さんとの関係ですが、借金問題でその後に確執が生じています。
原因は、借金を抱えた島倉千代子さんの後見人に細木数子さんの内縁の夫がなったこと。(細木数子さんの内縁の夫は某反社会的勢力の組長。)
細木数子さんの内縁の夫は当時、借金を抱えた島倉千代子さんのところへ取り立てに来た反社会的勢力の人間を盾になって裁いた。
さらに、細木数子さんが島倉千代子さんの借金4億円を1億5000万に減らし、それを肩代わりしたのです。
以来、島倉千代子さんは、自分を守ってくれた細木数子さんの言いなりになってしまったそうです。
(若い頃の島倉千代子さんと細木数子さん)
そして、島倉千代子さんの興行権を握った細木数子さんは、1977年に芸能プロダクション「ミュージックオフィス」を設立。
コロムビアに移籍するまでの3年間、島倉千代子さんを利用し、莫大な興行収入を手に入れたとされています。
なお、細木数子さんが島倉千代子さんの稼いだ金を持ち逃げしたと言われているのは、すでに借金を返し終わっているのに働かせていたから。
それに、残っていた借金を移籍先のコロムビアが肩代わりしているので、島倉千代子さんの借金問題は、事務所を移籍しない限りいつまでも決着しないままだったのです。
また、島倉千代子さんは2007年にも事務所のスタッフに資産を持ち逃げされ、再び多額の借金を抱えています。
とにかく、借金問題が残っている間、仕事を選ばず寝る間も惜しんで働いたという島倉千代子さんは、人がいいため、騙されることが多かったそうです。