☆この記事はこのような人におすすめです。
・レベッカのNOKKO(ノッコ)の娘が女優の杉咲花なのかを知りたい。
・NOKKOの旦那が誰なのかを知りたい。
・NOKKOの現在を知りたい。
・NOKKOの本名を知りたい。
NOKKO(ノッコ)が所属するバンド「レベッカ」は、1984年にデビューし、「フレンズ」「RASPBERRY DREAM」「LONELY BUTTERFLY」などのヒットを連発。
しかし、人気絶頂の91年に突如解散したのでした。
そんな「レベッカ」でボーカルを担当していたNOKKOは、結婚していて娘がひとりいます。
ただ、その娘が「女優の杉咲花じゃない?」というウワサが流れているのです。
たしかにNOKKOには、ひとりの娘がいるのですが、現在はまだ18歳くらいだったはず。
なので、このウワサはガセということになります。
では、なぜ杉咲花がNOKKOの娘だというウワサが流れていたのか?
それは、NOKKOの元旦那が「レベッカ」の初代リーダーだったギターの木暮武彦氏だったから。
というのも、杉咲花の父親がNOKKOの元旦那だった木暮武彦氏だから、娘と間違われているようです。
まぁ、この話は木暮武彦氏が3度の結婚、NOKKOが2度結婚しているということもあるので、勘違いされても仕方ないのかもしれません。
そこで今回は、NOKKOのプライベートについてまとめてみました。
レベッカ NOKKOの旦那
NOKKOは1990年に「レベッカ」の初代リーダー・木暮武彦氏と結婚。
91年の解散後、2人は米ニューヨークなどで生活していましたが、93年に離婚しています。
(NOKKOの元旦那・木暮武彦)
また、当時のNOKKOは木暮武彦氏との間に子供は授かりませんでした。
しかし、2003年に現在の旦那・音楽プロデューサーの保土田剛氏と再婚し、ひとりの子供(娘)を授かったのです。
なお、子供はNOKKOが42歳のときに産んでいるので、現在は18歳くらい。
その娘は、小学1年生のときにNOKKOが発売したアルバムのバックコーラスを務め“CDデビュー”しているのだから将来は有望です。
そして現在の旦那・保土田剛氏はというと、かつては米国歌手・マドンナの作品などで米グラミー賞を2度獲得している世界的なサウンドエンジニア。
あの宇多田ヒカルのアルバム「First Love」を手掛けた人物でもあります。
その保土田剛氏と結婚後、しばらくはニューヨークで暮らしていましたが、NOKKOが42歳のときに熱海を生活の拠点に。
そして現在、家族はすっかり地域になじんでいるということです。
レベッカ NOKKOの娘は杉咲花?
レベッカのNOKKOの娘が杉咲花というウワサはガセです。
杉咲花は子役時代から活動し、キムタクの映画「無限の住人」に出演したり、アニメ「メアリと魔女の花」の声優としても活躍する女優です。
しかも杉咲花の父親がNOKKOの前旦那ということで、娘と勘違いされてしまったのです。
では、杉咲花の母親は一体誰なのか?
父親の木暮武彦氏は3度の結婚歴あり。
1度目がNOKKOで、2度目が歌手のチエ・カジウラ。
そして、現在の嫁が3度目の相手となるわけですが、杉咲花は2度目のチエ・カジウラとの間にできた子供だったのです。
(杉咲花の母親 チエ・カジウラ)
杉咲花の母親・チエ カジウラは、アニメ『マクロス7』の楽曲を歌ったり、「M-MEG」名義で作詞を行っていることでも知られる日本の歌手。
杉咲花はそのチエ・カジウラ長女にあたります。
レベッカ NOKKOの本名と経歴
NOKKOの本名は保土田信子。
幼少の頃からノッコと呼ばれていたので、そのまま芸名として使っているそうです。
また、幼少の頃のNOKKOはクラシック・バレエとジャズダンスを習っていたといいます。
4歳から習い始め、「将来はバレリーナになりたい」と思っていたようですが、その間にさまざまな局面に遭遇。
結局、親に経済面で負担をかけることなどから思い悩んだ末、諦めたそうです。
その後は親の奨めでピアノを習うも途中で挫折。
高校時代はアマチュアバンドを組んでいた兄の誘いでバンドに参加。
しかし、当初はヴォーカルではなく、キーボードを担当していたのです。
この頃のNOKKOは高校の部活動で軽音楽部に所属するも、吹奏していたのはサックス。
まったくと言っていいほどヴォーカルに携わっていなかったのですが、ある人の一言で転機が訪れます。
その人は女性で、今では大親友でもあり、一番初めの歌の先生でもある人物。
NOKKOの歌声を聞いてヴォーカリストへの転身を薦めたそうです。
こうした経緯があって現在のヴォーカリスト・NOKKOが誕生。
1984年には兄の山田貢司氏らと結成したバンド「レベッカ」でデビューし、ヒット曲を連発したのでした。
レベッカ NOKKOの現在は熱海で病気の療養中?
「レベッカ」は人気絶頂の1991年に突如解散した伝説のバンドです。
解散理由についてNOKKOは、「本来の自分とのギャップに悩んだり、常にヒットさせなければならないというプレッシャーから解放されたかった」と語っています。
一方、そのころのNOKKOは、「うつ病」や「パニック障害」だったとも言われ、病気が解散の理由ともウワサされました。
ただ、本当に解散理由がNOKKOの病気だったかどうかの真偽は不明。
それでも病気の原因は、NOKKOが作詞した曲を盗作されたせいだと言われています。
なので現在、NOKKOが家族で熱海に移住しているのも病気療養のためだと思われました。
しかし、本人は「釣り好きの保土田氏に連れられて知った伊豆の海や山、そこに住む人々に魅了され、熱海に移住した。」と語っています。
というのも、もともと2人は結婚する前から自然が多い熱海によく来ていたらしく、その影響が移住の理由にもなったといいます。
それにNOKKOは現在、熱海でひとり娘を育てながら、家族の健康に気を配る毎日。
たまに音楽活動の傍ら地域のイベントでミニコンサートをしたり、公民館で童謡を披露するなど、地域の行事にも積極的に参加して生活しているということです。