元関脇の寺尾(錣山親方)の兄は、58歳で急逝した元関脇・逆鉾(井筒親方)、元十両の鶴嶺山。
3兄弟全員が元力士で、父親が元関脇・鶴ケ嶺(先代の井筒親方)という相撲一家です。
そんな寺尾(錣山親方)は、現役時代から兄弟とともに活躍し、引退後も親方として弟子の指導にあたっています。
ただ、最近は心臓の病気・不整脈で入院するなどし、激やせ。
兄の逆鉾が糖尿病に加えて、膵臓(すいぞう)がんを患っていたこともあり、病状が心配されます。
なお、急逝した逆鉾(井筒親方)の死因は「膵臓がん」。
8月から入院するも、病状は生命に危険があるという状態ではなかったようです。
亡くなる当日も、病室で知人と会話していたくらいだったとか。
ところが、夜に容体が急変し、亡くなったということです。
そこで今回は、父親が違うと噂されている寺尾(錣山親方)と逆鉾(井筒親方)の「異母兄弟説」の真相。
また、兄・逆鉾の現役時代の八百長について調査してみました。
寺尾と逆鉾が似てないのは父親が違うから?
井筒3兄弟の中で、逆鉾(井筒親方)だけが似てないのはなぜでしょうか?
同じ兄弟でも、長男で元十両の鶴嶺山と、三男の寺尾(錣山親方)はまだ似ているところもあります。
しかし、逆鉾(井筒親方)だけまったく似てないのです。
この話と似たようなことは以前にもあり、同じ相撲界の貴乃花と若乃花の間で、「父親が違う異母兄弟説」が取り沙汰されました。
このとき、貴乃花の父親は、顔が似ていることなどから「元横綱の輪島が本当の父親では?」と噂に。
しかし、母親の藤田紀子さんが疑惑を否定し、DNA鑑定をする意向を示したのです。
今回の寺尾(錣山親方)と逆鉾(井筒親方)の場合も、「父親が違う異母兄弟説」が浮上。
はたして真相はどうなのでしょうか?
とりあえず、長男・鶴嶺山、次男・逆鉾(井筒親方)、三男・寺尾(錣山親方)、父親・鶴ケ嶺(先代の井筒親方)が一緒に写っている写真を見る限り、逆鉾(井筒親方)は父親似ということが分かります。
(左から長男・鶴嶺山、三男・寺尾、次男・逆鉾 上段=父親・鶴ケ嶺)
長男・鶴嶺山もやや父親似。
現役時代、イケメン力士として人気だった寺尾(錣山親方)だけ、父親・鶴ケ嶺(先代の井筒親方)と似てないのです。
では、寺尾(錣山親方)が腹違いの子なのかというと、それも違うようです。
聞くところによると、寺尾(錣山親方)は母親似なんだとか。
3兄弟の母親は、25代横綱・西ノ海嘉治郎(2代)(にしのうみ かじろう)の孫娘で、名前は節子。
節子夫人の父親も幕下力士で、一家は相撲茶屋を営んでいたそうです。
ところが、節子夫人は1979年、がんにより死去。
当時、寺尾(錣山親方)は安田学園高校2年生で、上の兄2人はすでに各界入り。
しかし、寺尾(錣山親方)は、母親の節子さんが他界したことを機に、高校を中退して相撲界へ入門したのです。
高校を中退してまで入門した理由は、死ぬ間際に節子さんが寺尾(錣山親方)に、「相撲取りになって」と言い残したからだそうです。
錣山親方(寺尾)の病気はがん?
逆鉾(井筒親方)が患った膵臓がんは、母親・節子さんの遺伝要素があった可能性があります。
では、錣山親方(寺尾)の病気は本当に不整脈なのか?
やはり、錣山親方(寺尾)も、兄や母親のようながんの可能性は否定できません。
ちなみに膵臓がんは、すべてのがんの中でも、最も恐ろしい病気とされています。
特徴としては発見が難しく、見つかった時には、すでに進行しているケースが非常に多いこと。
さらに、早い段階でリンパ節に転移してしまう可能性が高く、切除手術が成功しても約7割が再発すると言われています。
結局のところ、根治には外科手術で病巣を完全に切除するしかありませんが、手術したとしても5年生存率は極めて低いとか。
「余命5年説」が3%~5%とされている重い病気なのです。
また、治療の一環として施される抗がん剤治療ですが、がんの転移などによって手術による病巣の除去が難しい場合や、手術の前に少しでも病巣を小さくしておく目的で行われるのが一般的。
ただし、抗がん剤は「がん」以外の正常な細胞にも作用してしまうため、激しい副作用を伴うことが多いようです。
逆鉾の八百長の真相は?
大相撲の八百長問題は、以前から週刊誌などで取り沙汰されてきました。
最初に八百長を告発したのは、元小結の板井関です。
(板井関 本名・板井圭介)
板井関は、週刊誌や自身の著書「中盆(なかぼん)」で八百長を告発し、自分が八百長力士だったことを告白したのです。
※中盆とはー八百長相撲の仲介
また、板井関は大相撲に八百長が存在することを暴露した著書に、計20人の八百長力士の名前を掲載。
著書に書かれていた八百長力士は、自身を含め、逆鉾、寺尾、千代の富士、旭富士、北勝海、北天佑、朝潮、若島津、陣岳、太寿山、水戸泉、高望山、若瀬川、大徹、巨砲、薩洲洋、多賀竜、孝ノ富士、増健。
しかし、名前の挙がった力士と相撲協会は、八百長の存在を否定したのです。
さらに力士たちは、板井関と星の貸し借りをしておこなった八百長についても、認めませんでした。
そんな板井関の告白には、「千代の富士は、ガチンコでいっても勝てる相手からも星を買って、無理をしないことで、相撲人生を長くするつもりだった。」とあります。
しかも、千代の富士と弟弟子にあたる北勝海は、八百長で優勝をたらい回しにしていたことを暴露したのです。
そして板井関と仲が良かった逆鉾(井筒親方)も、八百長の仲介をしていたことは有名。
やはり逆鉾(井筒親方)の八百長疑惑は事実だったのでしょうか?
結局、この八百長問題は裁判にまで発展。
告発した張本人の板井関は、日本相撲協会から年寄襲名の申請を却下されて廃業しています。
一方、逆鉾(井筒親方)は引退後、14代春日山を襲名して井筒部屋付きとなり、その後は井筒に名跡を変更して部屋を継承。
2人の差は歴然ですが、井筒部屋の所属力士は、横綱の鶴竜を含む3人というありさまです。
そう考えると、逆鉾(井筒親方)は、八百長疑惑の影響でタニマチの層が薄いことが分かります。
同じ20人の中に名前が挙がるも、弟の寺尾(錣山親方)は、人気力士だったためタニマチの層が厚い。
力士の数に違いがあるのは、寺尾(錣山親方)の方が新弟子を紹介してくれるシステムが強かったのです。
やはり、逆鉾(井筒親方)の八百長の真相は、まんざら嘘ではなかったようです。