☆この記事はこのような人におすすめです。
・赤井英和の子供について知りたい。
・赤井英和の娘が病気で亡くなったことについて知りたい。
・赤井英和が離婚した元嫁を知りたい。
元プロボクサーでタレントの赤井英和と嫁・佳子には悲劇が隠されていました。
赤井英和の娘といえば、モデルでありながらプロレスラーの赤井沙希が有名です。
娘の沙希は赤井英和が離婚した前の嫁とのあいだに授かった子供。
現在の嫁とのあいだに誕生した子供たちとは異母兄弟になります。
なお、赤井英和と現在の嫁・佳子のあいだに誕生した子供は、息子の英五郎、二男の英佳、長女のつかさの3人です。
しかし、本来ならあと2人の娘がいるはずだったのです。
そのいるはずだったという娘の名前は、「さくらこちゃん」と「ももこちゃん」。
娘2人は双子で、ももこちゃんが出生3日後、さくらこちゃんが7ヶ月後に亡くなるという悲劇が起きていたのです。
また、さくらこちゃんが亡くなったのは「脳軟化症」という病気が原因です。
そこで今回は、生まれてすぐ病気で亡くなった双子の娘についてまとめてみました。
赤井英和の病気と元嫁
プロボクサー時代、「浪速のロッキー」の愛称で親しまれた赤井英和。
現役時代は12連続KOという日本記録を打ち立てるなどして活躍するも、タイトルとは縁のないボクサー人生でした。
そんな赤井英和は1983年、アメリカのブルース・カリーとのWBCスーパーライト級タイトルマッチ戦に7RKO負け。
翌年の1984年、赤井英和は最初の結婚をします。
なお、元嫁の名前は貴美さんという一般人女性で、結婚生活中、2人の娘をもうけています。(赤井沙希は次女)
しかし、7年後の1991年に離婚。
次女の赤井沙希は両親が離婚しても赤井姓のままだった為、高校入学した頃から本名で活動を続けています。
(赤井沙希)
さて、ボクサー時代の話に戻るのですが、2度目の世界タイトルを目指そうとした赤井英和は、前哨戦・大和田正春との試合でも7RKO負け。
さらにその試合で、悲劇が起きてしまったのです。
リングに倒れた赤井英和に意識はなく、すぐさま病院へ搬送されれることに。
搬送時の生存率は20%、手術後でも生存率50%と、生死をさまよう状態だったといいます。
診断の結果は脳挫傷、硬膜下血腫(脳と頭蓋骨の間に血液が少しずつ貯まる病気)。
見舞いに訪れた両親は、「あきらめてくれ」と医師から言われたそうです。
それでも赤井英和は、奇跡的に意識が回復。
しかし医師からボクサーの引退を宣告され、後に俳優に転向することになります。
きっかけは引退後に出版した自伝「浪速のロッキーのどついたるねん」でした。
赤井英和の自伝「浪速のロッキーのどついたるねん」は、その後「どついたるねん」のタイトルで映画化され、赤井本人も出演。
出演依頼したのは、この作品が初監督となる阪本順治で、交渉するために赤井英和の元を訪れたといいます。
そこから現在の俳優・赤井英和が誕生し、1993年に会社員だった現在の嫁・佳子と再婚。
赤井英和には元嫁との間に沙希を含む2人の娘がいますが、佳子との間にも2男1女の子供が誕生しています。
そのひとりである長男の英五郎は現在、プロボクサー。
また、次男の英佳はというと、現在ハワイの大学に留学中だそうです。
(赤井英和の息子の英五郎)
もう1人の娘・つかさは会社員で、2017年に開かれた「2017 ミス・ユニバース・ジャパン」東京大会最終選考会のファイナリスト26人から審査員特別賞に選ばれています。
(赤井英和の娘のつかさ)
そして、本来なら生まれて3日後に死亡した「ももこちゃん」と、7ヶ月後に亡くなった「さくらこちゃん」がいるはずだったのです。
赤井英和の双子の娘が亡くなる
赤井英和と現在の嫁・佳子とのあいだには、本来ならあと2人の娘がいるはずでした。
娘の名前は、「さくらこちゃん」と「ももこちゃん」で、2人は1998年に双子として誕生。
28週の早産ということもあり、姉のさくらこちゃんは1410g、妹のももこちゃんは1120gと未熟児だったそうです。
その為、2人は生まれてすぐ、NICU(新生児集中治療室)へ搬送。
しかし、ももこちゃんはわずか3日後、父親の赤井英和の手の中で息を引き取り、天国へと旅立つことに。
そして、さくらこちゃんも7ヶ月の闘病の末、亡くなったのです。
この悲劇は、赤井英和の体験談「さくらこ ももこ わが逝きし子らよ」で赤裸々につづられていて、読んだ人からも感動の声があがっているそうです。
赤井英和の子供(娘)の病気
出産後、誕生したばかりのさくらこちゃんのことで医師は、「脳に傷を受けている可能性がある」と宣告。
しかし素人の赤井英和や嫁の佳子には、それがどういう病気なのか分からなかったといいます。
その為、赤井英和、佳子夫妻は何度も医師に説明を求めたのだとか。
すると医師から「脳軟化症」という病気で、「歩けないだろう」と言われたそうです。
それでも夫婦は、「どんな障害が残ってもさくらこちゃんが生きてくれるためなら何でもしよう、全力を尽くそう」と何度も話し合い、諦めることはしませんでした。
当時、赤井家には3人の子供がいて、双子の妹らの誕生を楽しみにしていたといいます。
しかし、NICU(新生児集中治療室)に入れるのは両親だけ。
赤井英和はその時の様子をこのように語っています。
「とにかく早く家に連れて帰って見せてやりたかった」、「家族と一緒に育てるのが願いだった」。
また、当時は娘の為にと、在宅治療をしてくれる医師を見つけ、治療の器具もほぼ整えていたのだとか。
そして、あとは気管切開の手術をするだけだったのですが、さくらこちゃんに悲劇が起きてしまいます。
集中治療室に入っていたさくらこちゃんの人工呼吸器の管が抜け、天国に旅立ってしまったのです。
今でも赤井英和は、さくらこちゃんの治療について、心の痛む思いしか残っていないと語っています。
「本当におこなわなくてはいけなかったのか…」、「さくらこにとっては苦しいだけの7ヶ月だったのでは…」