☆この記事はこのような人におすすめです。
・漫才コンビ・ベイブルースの河本栄得氏の死因を知りたい。
・彼女だったメンバメイのココについて知りたい。
・河本栄得氏の相方について知りたい。
元漫才コンビ・ベイブルースの高山トモヒロといえば、雨上がり決死隊と同期で、次世代のダウンタウンと期待されていました。
ところが、1994年10月31日、突然相方を亡くすという不幸に見舞われたのです。
その元相方とは、吉本興業の芸能学校NSCの7期生として、高山トモヒロとコンビを組んでいた河本栄得氏。享年25歳。
河本栄得氏の急死は芸人仲間のみならず、ファンなど多くの人々が悲しみに暮れたのです。
なお、急逝したベイブルース・河本栄得氏の死因は「劇症肝炎」。
河本栄得氏はTVのロケ撮影中に体調不良を訴えて入院。
しかし、その後に容態が急変し、即集中治療室へ運び込まれ、26歳の誕生日の前日にこの世を去ったのです。
ちなみに、当時ベイブルース・河本栄得氏が付き合っていた彼女は、メンバメイのココだったとか。
彼女だったココは、他の芸人仲間と通夜や葬儀に参列。
大阪市淀川区内で行われたベイブルース・河本栄得氏の葬儀・告別式では、相方の高山トモヒロが「皆さん、天国に向かって”河本のアホ”と叫んだって下さい」と弔辞を読み上げたのです。
それから20年以上経った現在、高山トモヒロは和泉修を相方にコンビ名「ケツカッチン」として舞台に立っています。
そこで今回は、伝説のお笑いコンビ「ベイブルース」で天才と言われた河本栄得氏について、まとめてみました。
ベイブルース 河本栄得の死因
高山トモヒロの元相方・河本栄得氏の訃報ニュースは関西に激震が走りました。
体調不良を訴え入院した河本栄得氏の死因は、「劇症肝炎による脳出血のため」と発表。
ベイブルース・河本栄得氏の死因となった「劇症肝炎」とは、以下のように説明されています。
肝臓は、身体に必要な物質を合成し、薬物や身体に有害となる物質を解毒、排泄するなど、生命活動にとって重要な役割を担っています。
肝臓の中で、これらの働きを担う細胞(肝細胞)が急激にかつ大量に壊れることによって、その機能が低下する病気が劇症肝炎です。
肝臓の機能が低下すると、血液を凝固させるために必要なタンパク(凝固因子)の産生が失われ、また、身体に有害な物質が蓄積して意識障害(肝性脳症)が出現します。
もともと健康な人に全身のだるさ、吐き気、食欲不振など急性肝炎と同じ症状が現れてから8週間以内に肝性脳症が見られ、血液中の凝固因子が著しく低下した場合に劇症肝炎と診断します。
肝細胞は増殖する能力に富んでいるために、急性肝炎の大部分は、肝細胞が壊されても自然に元の状態に戻ります(肝再生)。
しかし、劇症肝炎ではこの破壊が広くおよぶために、肝細胞の増殖が障害されて、適切な治療を行わないと高頻度に死に至ります。
引用元:難病情報センターより
当時、ベイブルースはラジオ番組「ヤングタウン」を受け持っていて、河本栄得氏が亡くなった当日、高山トモヒロはリスナーに知られないよう番組をこなしたといいます。
ですが、次の週、「隠しててごめんなさい」、「入院しているが元気だと嘘をついてました」と、実際は河本栄得氏が意識不明だったことを明かしたのです。
なお、最後となったベイブルース・河本栄得氏のテレビ出演は、スマップの番組「夢はモリモリ」のキックベース。
でしたが、番組が放送されたときには、すでに亡くなっていたのです。
河本栄得の葬儀に彼女のメンバメイのココが参列
河本栄得氏とコンビを組んでいた高山トモヒロの嫁・美喜子さんは、NSC時代の同期です。
嫁・美喜子さんも芸人を目指していたのですが、デビュー前にすでに妊娠してしまい、デビューすることなく高山トモヒロと結婚。
また、相方である河本栄得氏が生前付き合っていた彼女もまた、女芸人だったのです。
当時の彼女だった名前は、かつて「メンバメイコボルスミ11」という漫才コンビを組んでいたココ・シャネル。
(河本栄得の彼女 メンバメイのココ:右の背が低い方)
「メンバメイコボルスミ11」は、ココ・シャネルこと栄 孝子とビク・トリアこと岡村理世のコンビで、1985年~1988年の間活動。
ダウンタウンがMCを務めていた番組「4時ですよ~だ」に出演していました。
ですが、コンビ期間は3年しか続かず、ビク・トリアは芸人を辞め引退。
ココ・シャネルだけがしばらくピンでやっていましたが、今はすでに引退しています。
河本栄得氏が亡くなったとき、彼女のココは芸人仲間の山田花子や陣内智則らと共に通夜や葬儀に参列。
高山トモヒロの青春を描いた映画「ベイブルース~25歳と364日~」にも、当時彼女だったココ・シャネルとのエピソードが描かれています。
河本栄得の元相方は高山トモヒロ
高山トモヒロと元相方の河本栄得氏は同級生で、共に高校時代は大阪市立桜宮高校野球部に所属していたようです。
高校卒業後は吉本総合芸能学院NSC7期生として、コンビ「河本・高山」を結成。
同期には雨上がり決死隊などがいて、宮迫博之らと仲が良いことでも知られています。
また、高山トモヒロと河本栄得氏は、NSC卒業と同時に、コンビ名を「ベイブルース」に変更。
「てんそ」こと吉本印天然素材、千原兄弟らと共に、1990年代前半の関西吉本の若手をけん引していました。
ベイブルースは、上方お笑い大賞をはじめとする賞を総ナメにし、「次世代のダウンタウン」と言われるほどの若手有望株でしたが、ロケ中に河本栄得氏が体調不良を訴えて入院。
そのわずか2週間後、26歳の誕生日の前日に急逝したのです。