☆この記事はこのような人におすすめです。
・女優の多岐川裕美の夫(旦那)だった阿知波信介氏について知りたい。
・2007年に死去した阿知波信介氏の死因を知りたい。
・多岐川裕美の若い頃や、娘の多岐川華子の元夫が誰なのかを知りたい。
多岐川裕美といえば、若い頃がハーフ顔、それでもって美人女優として定評があります。
そのDNAを受け継いだのが、娘の多岐川華子です。
一般に「息子は母親似、娘は父親似」と言われることが多いのですが、多岐川華子の場合は母親の方に似たようです。
そして、多岐川裕美の夫・阿知波信介(あちはしんすけ)氏はというと、17年前の2007年に死去。享年67歳
阿知波信介氏は、芸能プロダクション「アクターズプロモーション」の創設者で、多岐川裕美とは1984年に結婚し、1997年に離婚しています。
なので、阿知波信介氏が死去したのは離婚した後になるのですが、死因は病気ではありません。
病気に苦しみ、滝に身を投げて亡くなってしまったのです。
そこで今回は、多岐川裕美の元夫(旦那)や、若い頃などについてまとめてみました。
多岐川裕美の夫だった阿知波信介とは
多岐川裕美の夫・阿知波信介氏は元々俳優出身です。
俳優時代は1967~1968年放送「ウルトラセブン」のソガ隊員役や、映画「連合艦隊司令長官山本五十六」などに出演。
ただし、それ以降はいまいちパッとしなかったため、俳優業を引退し、マネージャー業に転身しています。
(夫の阿知波信介氏)
俳優からマネジャーに転身した阿知波信介氏は、その後、三船敏郎氏が創業した「三船プロダクション」に入り、多岐川裕美のマネージャーを担当。
しかし、事業の拡大が原因で内部分裂が勃発。
阿知波信介氏と多岐川裕美は、芸能プロダクション「田中プロモーション」に移籍することになります。
移籍先の田中プロモーションでは、阿知波信介氏が副社長に就任。
同時に多岐川裕美との不倫疑惑が浮上します。
当時の阿知波信介氏は、結婚していて妻がいる身。
別居状態だったらしいのですが、最終的に妻とは離婚しています。
結局、こうして副社長と所属女優のスキャンダルは芸能界を賑わせることになるも、今度は田中プロモーションで内紛が勃発。
阿知波信介氏は、所属していた俳優・竜雷太と共に芸能プロダクション「アクターズプロモーション」を設立。
多岐川裕美、萬田久子、秋野暢子らも「アクターズプロモーション」に移籍したのです。
多岐川裕美の夫が死去 死因は?
不倫疑惑があった阿知波信介氏と多岐川裕美は、結局、アクターズプロモーション設立から1年後の1984年8月に結婚。
13年間の結婚生活を経て、1997年に離婚しています。
ちなみに、2人の間に誕生した娘・多岐川華子は離婚当時8歳で、親権は母親の多岐川裕美がもつことになります。
その後、離婚した夫の阿知波信介氏は再婚。
一方、多岐川裕美は独身のままで再婚せず。
娘・華子を育てながらアクターズプロモーションに所属し続けたのです。
そして、2007年5月7日、鹿児島県霧島市にある「犬飼の滝」で阿知波信介氏が死去したとの一報が入ります。
生前の阿知波信介氏は2004年に脳梗塞のため入院。(多岐川裕美も2017年に隠れ脳梗塞が発覚)
その後も高血圧の症状があって、自身の体力や気力の低下を心配し、周りに悩みを明かしていたといいます。
なお、発見された日の阿知波信介氏の行動ですが、鹿児島入りし、ホテルに2泊の予約を入れていたとか。
あくる日はタクシーで城山公園などへ観光地めぐり。
名所を聞かれた運転手が、犬飼の滝にも連れて行ったのです。
そして、犬飼の滝に到着後、阿知波信介氏がタクシーから下車。
時間が経っても戻ってこないのを不審に思った運転手が捜しに行ったところ、死去しているのを発見。
死因は冒頭でも説明したように、滝から身を投げ捨てての自害。
病気と経営不振に悩んでいたのが原因とされています。
多岐川裕美の若い頃と多岐川華子の元夫
多岐川裕美の若い頃は、探偵事務所を舞台としたドラマ「俺たちは天使だ!」の美人事務員役で人気を博しました。
また、画像を見ても分かるようにハーフみたいな顔立ちをしています。
(若い頃の多岐川裕美)
しかし、実際は両親とも日本人。
結局、ハ-フではないのですが、今でも当時からの美貌を保っていることに驚かされます。
しかも、そのDNAを受け継いだ娘の多岐川華子も母親譲りの美人です。
(現在の多岐川華子・多岐川裕美親子)
また、娘の多岐川華子といえば、2011年1月に故・松方弘樹氏と女優・仁科亜季子の息子・仁科克基と結婚。
ところが、多岐川華子も元夫・仁科克基と、2012年10月に1年9か月のスピード離婚をしています。
そんな娘に対して、母親の多岐川裕美の可愛がり方が半端でないといいます。
多岐川華子はそのことを「しくじり先生」に出演した際、暴露。
以下のような世間知らず“伝説”を披露したのです。
・「小学生で飛行機はビジネスクラス」
・「旅行先の宿泊は高級ホテル」
・「おもちゃ部屋が8畳」
・「初めての一人暮らしは三軒茶屋の3LDK家賃26万円」
しかし、しくじり先生に出演した当時の生活は虚しく、仕事についてこのような告白をしています。
・「不動産会社の事務のアルバイトをしている」
・「多いときは週5日で、平均週3日。10時から18時で1年くらい働いて時給は1150円になりました!」
こうして多岐川華子は、「母の名前だけを利用していた」「100%母のおかげなのに、勘違いしてしまいました」と反省したのでした。