GIST(消化管間質腫瘍)のため亡くなった俳優の萩原健一さん(享年68)
ショーケンの愛称で知られる萩原健一さんは、昭和のグループ・サウンズ「ザ・テンプターズ」のボーカル時代、ジュリーこと沢田研二と人気を分け合いました。
グループ解散後は、ライバルの沢田研二らと共にロックバンド「PYG(ピッグ)」を結成。
PYG解散後は、演技派俳優として活躍してきましたが、その破天荒な生き方から「芸能界一の問題児」とも言われてきたのです。
そんな萩原健一さんといえば、4度の逮捕歴に3度の離婚歴があります。
生前は「ショーケン」という、若い頃からのあだ名の由来とは全然結びつかない、波乱万丈な私生活を送ってきたのです。
そこで今回は、ショーケンこと萩原健一さんの結婚歴や、離婚した妻との間に、息子と娘の2人の子供がいるというウワサについて検証してみました。
萩原健一の子供は息子と娘?
萩原健一さんには、息子と娘の2人の子供がいるというウワサがあるので、事実かどうか調べてみました。
まず、萩原健一さんの結婚暦は、現在の妻である冨田リカを含め4回あり、離婚暦が3回あります。
(妻の冨田リカ)
1回目は1975年にモデルの小泉一十三(ひとみ)と結婚。
3年で離婚するも、小泉一十三との間に女児をもうけているので、娘がいることは事実となります。
2回目は1980年に女優のいしだあゆみと結婚。
ところが、いしだあゆみとは4年後に離婚した上に、子供をもうけたという話はありません。
その後の3回目に関しては、相手や子供、結婚、離婚の時期は不明。
そして、2011年に元モデルの冨田リカと4回目の結婚をしたのですが、2人の間に子供はいません。
ただ、冨田リカの結婚暦を調べてみると、萩原健一さんとは3度目だったことが判明。
1回目は20代の頃に結婚して、2年あまりで離婚するも、夫との間に息子をもうけています。
離婚の原因は冨田リカの男性関係だったとか。
そして、2回目に結婚した飲食店プロデューサーの夫との間には、子供をもうけていないようなので、萩原健一さんの息子というのは、冨田リカの子供のことだったのです。
もともと、冨田リカはショーケンの大ファンだったらしく、当時連載していた「美STORY」の企画で萩原健一さんと対談していました。
そのことをきっかけに2人は交際に発展するのですが、当時冨田リカは夫との離婚届を提出していたことから、略奪を疑われたのです。
結局、萩原健一さんの子供に関して分かったのは、血縁のある娘と、血縁関係にない息子でした。
ショーケンの由来
萩原健一さんのあだ名である「ショーケン」の由来は、自叙伝によると、当時仲間の中にケンちゃんは2人いて、ケンカが強い大きなケンちゃん、ケンカが弱い小さいケンちゃんがいたそうです。
萩原少年は、後者の小さい方のケンちゃんだったため、「小ケン」。
ショーケンの由来は、不良仲間内のケンカ順と、体格の違いから付けられた愛称だったのです。
そんなショーケンこと萩原健一さんは、17歳のとき埼玉県大宮市でスカウトされ、「ザ・テンプターズ」のボーカルとしてデビュー。
俳優としての代表作は、1972年~1973年出演の刑事ドラマ「太陽にほえろ!」や、1974年~1975年のドラマ「傷だらけの天使」、1975年~1977年のドラマ「前略おふくろ様」シリーズなどがあります。
中でも「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事役が大当たりし、以来演技派として活躍してきましたが、萩原健一さんからすると「太陽にほえろ!」は、あまり乗り気でなかったそう。
そして、その後に出演した「傷だらけの天使」では、弟分を水谷豊が務めています。
ちなみに、当初は火野正平が弟分を務める予定だったそうです。
萩原健一の逮捕歴
ショーケンの愛称で知られる萩原健一さんは、還暦を過ぎてから随分とおとなしくなったと言われていました。
しかし、昔は飲酒運転や違法な葉っぱ、カメラマンへの暴行や映画関係者への恐喝未遂などで逮捕されています。
ただ、これだけ問題を起こしても後に復帰して、メディアの前に出てこれるのだから、ある意味たいしたもの。
そこで、ショーケンこと、萩原健一さんの逮捕歴を順に追っていこうと思います。
まず、芸能人で逮捕者が多く出ている違法葉っぱを所持していたとして、萩原健一さんも1983年に逮捕されています。
この不祥事で1年間の謹慎。
復帰するまでの間、萩原健一さんは、酒やタバコも一緒に止められるようにと願掛けして、四国巡礼のお遍路を参拝していたそうです。
ちなみに拘留中、面会を一切許されなかったのですが、ガッツ石松が強引な形で面会に来たのだとか。
その際、ガッツ石松は差し入れで持ってきた果物の中からバナナを取り出し、刑事たちに分配していたというエピソードが残っています。
2度目の逮捕は1984年、飲酒運転で現行犯逮捕。
さらに翌年の1985年には、女優の倍賞美津子との2ショット写真を週刊誌「フライデー」に撮られて、怒った萩原健一さんはフライデーのカメラマンに暴行。
後に書類送検されたのです。
そして3度目の逮捕は2004年、横浜市内でふたたび事故を起こして現行犯逮捕。
4度目は2005年、公開された映画「透光の樹」のプロデューサーを、恐喝したとして逮捕されています。
当時、萩原健一さんは監督やスタッフ、共演者に暴言や暴行を繰り返したため、途中降板。
途中降板した萩原健一さんに、プロデューサーが出演料の半分を返還するよう求めたのですが、「一方的に降板させられた」と、要望を拒否。
さらには、留守番電話に脅迫する言葉を残し、返還どころか出演料全額分を要求していたのです。
その後、萩原健一さんは制作側から告訴されたため、恐喝未遂で逮捕されています。