ナターシャカンプシュ事件の犯人と現在(オーストリア少女誘拐監禁事件)

ナターシャカンプシュの画像 事件

誘拐された後、監禁され、消息不明のまま何年か経って、無事発見されることはあまりありません。

 

日本にとどまらず、世界中でもこのような誘拐・監禁事件が発生し、奇跡的に発見されたケースがあります。

 

その1つが1998年3月、オーストリア・ウィーンで起きた「ナターシャカンプシュ誘拐監禁事件」です。

 

これは、当時10歳の少女・ナターシャカンプシュが、学校の登校中に誘拐・監禁され、3096日後に無事保護された事件。

 

この「オーストリア少女誘拐監禁事件」は、埼玉朝霞市で起きた少女監禁事件で、逮捕された寺内樺風容疑者が手口を参考にしていた、と言われています。

 

ナターシャカンプシュを誘拐した犯人は、通信技術者のウォルフガング・プリクロピル(写真あり)で、少女とは顔見知りでした。

 

プリクロピルは8年半もの間、ナターシャカンプシュを自宅の地下室に閉じ込め、監禁していたのです。

 

そこで今回は、ナターシャカンプシュ誘拐監禁事件で行った脱出方法。

 

現在のナターシャカンプシュの仕事、また犯人のウォルフガング・プリクロピルがその後、どうなったのかについてまとめてみました。

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ナターシャカンプシュ誘拐監禁事件とは

ナターシャカンプシュ事件(オーストリア少女誘拐監禁事件)とは、1998年3月、当時10歳の少女・ナターシャカンプシュが、オーストリアの首都・ウィーン市内にある学校へ向かって歩いている時に、起きた事件。

 

当時、母親と2人で暮らしていたナターシャカンプシュは、事件に巻き込まれる前日の晩に、母親と口げんかになっていたといいます。

 

そして、事件当日の朝、母親とは口も利かずにそのまま出かけたのです。

 

また、この日のナターシャカンプシュは、初めて1人で登校する日でもありました。

 

当時の欧州は、これまでにも児童ポルノや臓器売買の目的で、幼い子供が誘拐された後、殺害される事件が度々起きていたのです。

 

そのことをTVなどを観て知っていたナターシャカンプシュは、自分はぽっちゃりしている上にブロンドではないため、ターゲットにされないと思い込んでいたのだとか。

 

ところが、そんな思いとは裏腹に、ナターシャカンプシュは、失業中だったウォルフガング・プリクロピルに誘拐され、車の中に押し込められたのです。

 

(ナターシャカンプシュ誘拐監禁事件の犯人)
ナターシャカンプシュ事件の犯人の画像

 

その後、犯人のウォルフガング・プリクロピルは、ウィーン郊外の自宅の地下室に、ナターシャカンプシュを監禁。

 

こういった場合、ふつうは性的虐待を受けていてもおかしくはないのですが、ウォルフガング・プリクロピルは、性的興味を示さなかったといいます。

 

そのため、当分の間は地下室に閉じ込められはしたものの、特に何かをされることもなく、十分な食事も与えられていました。

 

ところが、初潮を迎えると同時に、ウォルフガング・プリクロピルの態度が激変。

 

これまでとは打って変わって、身体的・精神的な虐待が始まるととともに、大幅な食事制限が始まったのです。

 

繰り返される虐待の日々が続く中、ナターシャカンプシュは18歳になったら自立すると決心。

 

そんなある日、犯人のウォルフガング・プリクロピルに電話がかかり、目を離したすきに逃走を図ったのです。

 

こういった事件が発覚すると、いつも世間は「なぜ、周囲は気づかなかったのか?」「なぜ、逃げられるチャンスがあったはずのに、逃げなかったのか?」と疑問を抱くと思います。

 

しかし、これは、長期間にわたる監禁生活を実際に味わったことがない人たちには、とうてい理解できないこと。

 

案の定、監禁されていた間、近隣住民は庭でナターシャカンプシュを見かけたり、ウォルフガング・プリクロピルと一緒に外出している姿も目撃されていました。

 

そのときに助けを求めてさえいれば、もう少し早く事件は解決したかもしれませんが、ナターシャカンプシュにとっては恐怖心の方が勝っていたのでしょう。

 

それともう1つ、この事件が8年半もの間解決しなかったのは、警察の捜査のずさんさが原因でした。

 

何度か警察は、犯人のウォルフガング・プリクロピル宅に捜査に来たにも関わらず、何も発見できずにいたのです。

 

しかも、タレコミの電話があったにもかかわらず、それを真剣には取り合わなかったとか。

 

警察の捜査のずさんさは、被害者のナターシャカンプシュが保護されてから2年後、政治的な絡みで明るみになったのでした。

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ナターシャカンプシュ誘拐監禁事件の犯人

ナターシャカンプシュ誘拐監禁事件の犯人、ウォルフガング・プリクロピルは、「完璧な世界」を目指し、当時10歳のナターシャカンプシュを誘拐しました。

 

ウォルフガング・プリクロピルの生い立ちについては、明かされていませんが、もともとは、母親と祖母の3人で暮らしていたとみられます。

 

そんなウォルフガング・プリクロピルは、結婚せず、独身。

 

目論んだのは、誘拐して服従させることだったのです。

 

そうすれば、自分が思い描いた夫婦生活が送れると思っていたといいます。

 

しかし、だいたいそんな動機で誘拐したところで、普通の夫婦生活なんか送れるはずもなく、この世に完璧な世界など存在しません。

 

結局、誘拐したナターシャカンプシュを逃がしたことにより、ウォルフガング・プリクロピルは、線路に飛び込んで死亡。

 

ナターシャカンプシュは被害者なのに、ウォルフガング・プリクロピルが死んだことを聞かされ、涙したそうです。

 

ただ、ナターシャカンプシュが涙したことに、捜査員はこのように述べています。

「誘拐犯などと一緒に生活する時間が長いと、被害者に一体感などが生じるストックホルム・シンドロームの状態に陥っていた可能性がある」。

ナターシャカンプシュの現在

犯人の一瞬の隙をついて、逃走することに成功したナターシャカンプシュは、最初に近隣男性宅に助けを求めました。

 

その男性宅には、息子と孫がいて、ナターシャカンプシュが「警察に連絡して欲しい」と頼んだのですが、拒否されてしまいます。

 

次に人が暮らしていそうな家を見つけ、庭に侵入。

 

そして助けを求めて、ようやく警察に保護されるわけですが、住人の女性は「なぜ他の人もたくさんいるのに私なの?!」と、当初は警察に電話することを拒んでいたとか。

 

ナターシャカンプシュの現在の画像

 

こういった当時の出来事は、保護されてから5年後の2010年9月に、本人がつづった手記『3,096 Days』に書かれています。

 

そして『3,096 Days』はその後、映画化され、ナターシャカンプシュは翌年、本の印税と全世界各地から届けられた寄付金を使って、スリランカに小児病院を建設したのでした。

 

また、ナターシャカンプシュ監禁事件後、本人は世の中の生活に慣れようと努力をつづけ、2010年には大学を卒業。

 

手記を出版したのはその後のことで、現在、ナターシャカンプシュは、オーストリアのTV曲のアナウンサーになって、トーク番組の司会者などを行っているそうです。

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