☆この記事はこのような人におすすめです。
・藤田小女姫さんの予言を知りたい。
・藤田小女姫さんが書き留めていたノートと、政治家の関係について知りたい。
・藤田小女姫さんの息子について知りたい。
日本の霊感占い師として一世を風靡した藤田小女姫(ふじた こととめ)さんは、1994年にハワイで悲劇的な事件に巻き込まれました。
しかし、彼女の生涯と業績は今なお語り継がれています。
そんな今回は、数々の予言と共に政治家たちに与えた影響。
伝説の予言などについて紹介しようと思います。
藤田小女姫と政治家たち
1938年に福岡県で生まれた藤田小女姫さんは、わずか11歳の頃から霊感の才能を発揮。
その占いは的中率の高さで評判を呼び、特に政財界の大物たちから厚い信頼を受けていたといいます。
中でも彼女の名を一躍有名にしたのは、歴代の日本の政治家や実業家との深い関わりです。
岸信介、福田赳夫といった総理大臣経験者や、松下電器(現在パナソニック)創業者である松下幸之助といった著名人たちの相談相手でした。
そして、何といっても藤田小女姫さんと政治家の関係で特に有名なのは、1959年の日米安全保障条約の改定に関するエピソードです。
当時、岸信介首相が条約成立の可否について藤田小女姫さんに相談したところ、彼女は次のように予言したといいます。
「安保条約は成立しますが、あなたの内閣は長く続きません」。
この言葉は現実のものとなり、条約が成立したわずか4日後、岸信介内閣は総辞職することに。
この出来事をきっかけに、藤田小女姫さんの占いは「的中率が高い」と評判になり、以降、多くの政治家や実業家が彼女に助言を求めたのでした。
藤田小女姫の予言
藤田小女姫さんの予言は、政治関係だけでなく、スポーツ選手や個人の運命にも及びました。
中でも特に有名なのは、野球選手・王貞治氏への予言です。
藤田小女姫さんは、まだ学生だった王貞治氏に「あなたは将来、野球界で大成功を収める」と告げたとか。
すると、後に王貞治氏がプロ野球で大活躍。
歴史に名を刻むこととなり、この時の予言が話題となったのです。
また、中国の首相・周恩来、韓国の朴正煕大統領の死去といった歴史的な出来事についても、予言を的中させたとされています。
さらに、明仁親王の結婚を的中させた際、相手の女性についても、具体的な特徴を述べていたということです。
こうして予言した数々の事例は、藤田小女姫さんの霊感の正確さを裏付けるものとして、当時大きな話題に。
一方で、藤田小女姫さんの能力について批判的な声もあったようです。
藤田小女姫のノート
藤田小女姫さんが記していたとされるノートは、「ブラックノート」、「黒革の手帳」とも呼ばれています。
ノートには彼女自身の予言や、重要な情報(政財界の裏情報)が詳細に記録されていたとされ、今なお人々の関心を集めているようです。
ただそのノートですが、藤田小女姫さんが悲劇的な事件に遭った際、現場から姿を消しています。
なお、事件の犯人として逮捕された福迫雷太は、獄中インタビューで「小女姫はノートを金融業者への担保として使っていた」と証言。
しかし、ノートは現在も行方不明のまま。
福迫雷太は一部をコピーしたと話していますが、それが真実なのかは不明です。
ノートに込められた秘密
藤田小女姫さんのノートは、彼女の予言能力や、政治家などとの関係を証明する重要な手がかりだと考えられています。
しかし、その実在や内容については多くの憶測が飛び交うばかりで、確たる証拠は見つかっていません。
仮にこのノートが発見された場合、その影響は計り知れないものとなるでしょう。
そこに記されている内容が、藤田小女姫さんの能力を裏付けるものなのか、それとも彼女が関わった政財界の闇を暴露するものなのか、注目が集まります。
現代においても「ブラックノート」は日本の近代史における未解決の謎の一つであり、藤田小女姫という特異な人物の存在を浮き彫りにしています。
彼女の死と、このノートに隠された秘密が解き明かされる日は来るのでしょうか。
その答えは、未来のさらなる調査や偶然の発見に託されています。
藤田小女姫の息子
藤田小女姫さんの息子・吾郎さんは養子であり、事件当時、ハワイ大学に通っていました。
ただ、息子・吾郎さんと藤田小女姫さんの間には、さまざまな問題があったとされています。
特に金銭感覚の違いが、2人の関係に影響を与えていたのだとか。
吾郎さんは時折、母親である藤田小女姫さんの名義のクレジットカードを友人に貸すことがあったそうです。
しかし、その友人たちが使用後に返済しないことが多く、このことが母子間でのトラブルの原因に。
それでも藤田小女姫さんは、吾郎さんの行動に対して深く心配していたようです。
そんな中、2人に悲劇が発生。
1994年2月23日、同じ日に命を奪われるという、衝撃的な事件に巻き込まれたのです。
なお、この事件は、2人の運命を大きく狂わせ、未だに多くの謎を残しています。
吾郎さんの死因と、母である藤田小女姫さんの事件との関連性については、今なお議論が続けられているのです。
藤田小女姫の死因
藤田小女姫さんがハワイの自宅コンドミニアムで命を奪われた事件。
死因は、胸部を撃たれたことによるものでした。
そんな事件のきっかけは、近隣住民からの「煙が出ている」という通報だったといいます。
消防隊員が駆けつけた際、藤田小女姫さんが自宅の寝室クローゼットの中で倒れているのを発見。
すでに意識はなく、救助が試みられたものの、命を救うことはできず、死亡が確認されたのです。
また、この事件は大きな衝撃を与え、瞬く間に世界中の注目を集めました。
事件発生の直前、藤田小女姫さんは銀行に「日本円で約200万円を用意してほしい」と依頼していたことが判明。
この依頼は、彼女が何者かに脅されていた可能性を示唆しており、事件の動機として複雑な背景があると考えられたのです。
さらに、事件当日は、息子の吾郎さんが命を奪われるという不可解な状況も発生しています。
これにより、事件の背後には計画的な犯行や、多くの利害関係者が絡んでいる可能性が浮上したのです。
藤田小女姫と福迫雷太
藤田小女姫さんと息子の吾郎さんが襲われた事件。
この事件の犯人として逮捕されたのが、吾郎さんの友人であり、以前からお金を借りていた福迫雷太です。
そして、この事件が引き金となり、2人の間に隠された事実が徐々に明るみに出ることになります。
事件後、福迫雷太が、藤田小女姫さんの所有物とされる宝石を質屋に持ち込んだことが判明。
さらに、防犯カメラには、事件当日に福迫雷太が吾郎さんと一緒に、エレベーターに乗る姿が記録されていました。
また、福迫雷太の部屋からは血痕が発見され、重い荷物を運ぶ姿も防犯カメラに記録されています。
これらの証拠が決め手となり、ハワイ当局は福迫雷太を犯人と断定。
その後、福迫雷太は日本からハワイに身柄を引き渡され、裁判にかけられます。
裁判での福迫雷太は一貫して無罪を主張しましたが、終身刑の有罪判決を受けることに。
この事件は、日本人が海外に引き渡される初めてのケースとして、日本国内外で大きな注目を集めたのです。