真冬のロシアで起こった「ディアトロフ峠事件」は、今から60年以上前の1959年2月、雪山で9人の学生の奇妙な遺体が発見された怪奇事件。
中でも最大の謎は、学生たちはなぜ死んだのか?
その原因が、事故死なのか?それとも殺人なのか?
誰にもわからなかったのです。
結局、真相としては、これまで様々な説が唱えられてきました。
すると、近年思いもよらない驚きの説が浮上。
そこで今回は、ロシヤ最大のミステリーとも言われる「ディアトロフ峠事件」の真相に迫ろうと思います。
ディアトロフ峠事件とは
1959年1月、ウラル工科大学の学生9人がロシア西部に位置する高台なウラル山脈、未開の原生林が拡がる人もほとんど住んでいない極寒の地の山奥へ出かけたのでした。
しかし数週間後、全員遺体で発見されることに。
気温マイナス30度にも関わらず、遺体のほとんどが裸足で下着姿の者もいたそうです。
しかも、防寒着やブーツはなぜかテントの中に残されたまま。
奇妙なことに頭蓋骨や肋骨を砕かれた者や、放射能物質が検出された者、何と眼球と舌を引き抜かれた者までいたのです。
それに学生たちの多くは、まるで何かから逃れるように後ろを向いて死んでいたといいます。
どう考えても、ただの遭難事故ではありませんでした。
しかし、当時のソ連政府はまるで何かを隠蔽するかのよう、たった4週間で捜査を打ち切り真相は闇の中へ。
一体、登山中に何が起こったのか?
この事件は「ディアトロフ峠事件」と呼ばれ、ロシアでは「JFK暗殺事件」と並ぶミステリーとして、様々な陰謀説が議論されてきたのです。
ディアトロフ峠事件の真相はカルマン渦?
アメリカの探検家が「ディアトロフ峠事件」の調査を進めていくと、ある事実を見つけたといいます。
それは、国家公文書館に残された当時の捜査資料で、これまで50年以上機密とされていた捜査資料だったとか。
探検家は、学生の1人が書き残したとみられるメモの内容を発見したそうで、そこには「雪男は存在する」と書かれていたといいます。
そして、探検家が出した信じられない結論はというと。
・学生たちがテリトリーに侵入したことで怒り狂ったイエティがテントを襲った。
・皆パニックになり、着の身着のままはテントから逃げ出した。
・しかし、次々にイエティにつかまり無残な最期を遂げたのではないか?
これらの結論はあまりにも突飛な話ですが、あり得ないとは言い切れません。
また、諸説ある中、ディアトロフ峠事件の真相について出版された「死に山 世界一不気味な遭難事故」という本によると、ディアトロフ峠の大気物理学を主張しています。
出版本「死に山」には、事故原因を気象現象(カルマン渦列)と、それによる超低周波音の発生が事件の原因」としているのです。
ディアトロフ峠へ繋がる頂上の形状は、カルマン渦が発生するための理想的な条件にあり、その超低周波音にさらされた9人は恐怖とパニックに陥った。
さらに、山で発生したカルマン渦列と、それにともなう超低周波音が原因となり、危険な竜巻が発生。
それがカルマン渦列で、そのなかの渦が超低周波音を生み出す。
その音は益々恐ろしい音に変わり、同時に超低周波音が発生するため、胸腔も振動しはじめる。
超低周波音の影響でパニックや恐怖、呼吸困難を感じるようになり、いっせいにテントから逃げ出したと考えられているのです。
こうして「ディアトロフ峠事件」の真実は、大気物理学とカルマン渦の説が唱えられているわけですが、現在もロシアの中で意見が分かれています。
ディアトロフ峠事件は放射能説や原住民説は嘘?
ロシア最大のミステリー「ディアトロフ峠事件」が謎なのは、一体誰が学生たちを殺害したかです。
60年前のあの日、9人の学生に何が起きたのか?
遺体となって発見されたのは同じ大学で知り合った9人の仲間たちで、そのうち女性は2人いました。
グループを束ねていたのがリーダーのイーゴリ・ディアトロフ。
この事件は、リーダーだった学生の名前を取って「ディアトロフ峠事件」と呼ばれています。
当日、学生の計画は、ウラル山脈北部のとある山までをスノートレッキングすること。
さらに、そこから折り返し、合わせて100キロの行程を14日間で行うというものでした。
しかし、折り返し地点の手前10キロで事故が起きてしまったのです。
遺体が発見された女性の1人、リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナは当時20歳。
実は彼女、最も悲惨な姿で発見されているのです。
リュドミラは、何者かに舌を引き抜かれていたわけですが、舌を抜かれるなんて普通じゃありえないし、9人はなぜ死んだのか、様々な説が唱えられています。
まず最初に考えられたのが雪崩説。
この説は、突然雪崩が発生し、着の身着のままテントの外へ飛び出したというもの。
しかし、遺体の奇妙な傷から雪崩とは考えにくいとの結論が出ています。
そして次の真相には、軍の秘密兵器実験説が浮上。
実はこの登山に参加した者の中に1人だけ生き残った者がいたのですが、彼は急病を患ったため、途中で引き返していたのです。
その後、この人物は2013年に死去。
ただ、生前は事件について奇妙な証言をしていたといいます。
この人物の証言によると、捜索隊に頼まれ亡くなった仲間たちの遺品を確認していた時、おかしいな物を発見したのだとか。
それは軍が使うブーツカバーだったそうです。
実は発見したブーツカバーは、軍にしか支給されない特殊な物で、もしかすると捜索隊が到着する前に軍が現場にいた可能性があります。
軍がいたとすれば、そこで何をしていたのか?
さらに、この近辺はソ連の放射能研究の極秘拠点になっていて、事件当時、現場から80キロ離れた街の核施設では、放射能物質の垂れ流しもあったそう。
ミサイル実験が行われていたとの情報もあるので、軍の機密に触れ殺されてしまったことも考えられます。
そんな中、極めて有力視された説があります。
それは、原住民のマンシ族による襲撃説。
マンシ族とは、大昔からウラル山脈の南に住む原住民の狩猟民族。
非常に閉鎖的かつ、縄張り意識が強いといわれ、以前、村に侵入した地質学者を殺害したとも言われているのです。
実際、亡くなった学生たちが残した日記に「原住民の部族と激しい争いがあった」との記述があるのだとか。
しかし、マンシ族が住むウシュマ村へ行って、学生たちを殺したのかと聞くと、原住民の1人は「マンシ族が殺したんじゃない」と答えたといいます。
それに当時もソ連の秘密警察KGBに疑われて、部族の大勢が連行され拷問にかけられたとか。
ところが、KGBが厳しく取り調べたが、殺害の証拠は発見されなかったといいます。
むしろマンシ族は、学生たちに「ここから先には決して立ち入るな」と警告していたそう。
なので、「ディアトロフ峠事件」の真相が原住民説は嘘だという可能性が高くなります。
ディアトロフ峠事件の真相はイエティ説
一体なぜ山に立ち入ってはいけないのだろうか。
その確信を知るというマンシ族の老女が言うには、原住民は事件があった山に入ることはないといいます。
さらに、事件のことはよく覚えていたらしく、当日も音が聞こえたのだとか。
老女が言う音とは、口笛のようなとても耳障りな音で、うなり声のようにも聞こえるといいます。
とても恐ろしい音、それはメンクの声なのだとか。
メンクは森の巨人でとてつもない怪力。
森で鹿が死んでいるのは、皆、メンクに舌を抜かれているそうです。
その話を聞いてゾッとするのは、遺体が発見されたリュドミラの舌が無かったこと。
では、メンクとは一体何者なのか?
インターネットを使って捜査すると、メンクを描いたイラストをいくつか発見しました。
怪物の正体はイエティのような生物。
メンクは、首が短くほとんど無いに等しい。
それに口笛のような奇妙な音を発するといいます。
この口笛音のような音が聞こえたら危険で、警戒したメンクが襲ってくる可能性があるのだとか。
さらに怪物・メンクの好物は生の柔らかい肉で、鹿の内臓や舌を食べるそうです。
そんなメンクとは、ウラル地方の呼び名でロシア全土では一般的にイエティと呼ぶらしい。
日本でいうと雪男のような感じでしょうか。
しかもこのイエティは、ロシアのニュースで何度も報道されるほど目撃談が相次いでいるといいます。
それにイエティらしき巨大が足跡もロシア各地で見つかっているのだとか。
足のサイズから推測すると、イエティの体長はおよそ2.6メートル。
そんな巨大生物に襲いかかられたら人間は人たまりもありません。
しかし、本当にそんな生物がいるのでしょうか?
9人の学生たちを殺害した犯人と考えるのは、あまりに突飛すぎるので、イエティ説も嘘の可能性がありそうです。