☆この記事はこのような人におすすめです。
・福岡スナックママ連続保険金殺人事件の犯人、高橋裕子の現在を知りたい。
・高橋裕子の元夫や子供について知りたい。
・高橋裕子の生い立ちや家庭教師の名前を知りたい。
1994年から2000年にかけて発生した「福岡スナックママ連続保険金殺人事件」。
逮捕された高橋裕子は、現在どこの刑務所へ収監されているのでしょうか?
少し調べてみたところ、公判で無期懲役が確定した後、麓刑務所(ふもとけいむしょ)に収監されているようです。
そんな高橋裕子は1955年生まれの福岡県志免(しめ)町出身。
父親が靴の製造販売で成功していたこともあり、裕福な家庭で育っています。
両親に溺愛され、恵まれた生い立ち。
若い頃は白雪姫と呼ばれるほどの美貌を持っていたはずなのに、なぜ2人の夫の命を奪ってしまったのか。
そこで今回は、「福岡スナックママ連続保険金殺人事件」について振り返ってみようと思います。
高橋裕子の現在と生い立ち
高橋裕子が犯した「福岡スナックママ連続保険金殺人事件」は、別の容疑で逮捕されたことによって発覚。
関係を持った店の客を恐喝するだけにとどまらず、2人の夫の命を奪い、多額の保険金を手に入れていたのです。
そして逮捕された後の高橋裕子はというと、息子の家庭教師に罪をなすりつけようとしますが、2007年7月19日の福岡地裁で無期懲役が言い渡されます。
その後、控訴上告するも求刑通り無期懲役が確定。
現在は冒頭でも述べたように、麓刑務所に収監されているということです。
また、高橋裕子の生い立ちですが、実家は靴の製造販売の会社を経営していて裕福。
子供の頃からピアノが上手く、可愛い容姿も相まって周囲から評判が良かったそうです。
しかも両親は長女として生まれた高橋裕子を溺愛し、音楽家にするため、家2軒分の金をつぎ込んだとか。
裕福な家庭で育ち、高校まで通ったのは「お嬢さん学校」で知られる私立福岡女学院。
高校卒業後は東京の武蔵野音楽大ピアノ科へ進み、1978年に卒業しています。
高橋裕子の元夫と子供
高橋裕子は3回結婚しています。
最初の夫は福島県出身の資産家の息子。
この元夫とは学生時代、合コンで知り合い、武蔵野音大卒業後の1979年に結婚。
2人の子供(娘と息子)に恵まれ、最初は元夫の実家がある福島県でピアノ教師をしていたということです。
しかし、夫が作った借金が原因となり、結婚6年目で離婚。
その後、故郷の福岡へと戻ることになるのですが、高橋裕子はその頃からわがままな性格で、6年の結婚生活の間に7回引越し。
離婚後も元夫に金を要求していたそうです。
そして、地元に戻った高橋裕子はピアノ教室を開き、しばらくの間真面目に働いていたといいます。
2番目の夫と再婚したのは、帰省してから2年後の1987年。
再婚相手の名前は野本雄司さんといって、元夫と住むために計画していた家の建築士でした。
ただ、この再婚は不倫の果ての略奪婚。
野本雄司さんには妻子があり、高橋裕子が妻に嫌がらせをしたりして別れさせたのです。
そうした経緯で2番目の夫と再婚し、子供(次女)も1人誕生するのですが、またしても結婚生活は長く続かず。
バブル崩壊の影響で、夫の会社の経営が傾き始めてしまったのです。
その後、夫婦に多額の借金がのしかかると、高橋裕子は多額の保険金を野本雄司さんにかけます。
そして、子供の家庭教師だった大学生に計画を持ち掛け、野本さんの命を奪ったのでした。
高橋裕子が経営していたスナック店の場所
高橋裕子が2番目の夫・野本雄司さんの命を奪ったのは、1994年10月22日。
翌年の1995年9月から福岡市・中洲でスナックを開店しています。
ちなみに経営してしたスナックですが、名前は「フリージア」といって、場所は丸源36ビルに入っていたとか。
ただし、現在は当然のことながらありません。
結局、高橋裕子が中洲でスナックを経営していたのは、5年間のみ。
当時は「美人ママ」として有名で、常連客と関係を持ちながら営業。
3番目の夫・高橋隆之さんも青森から出張で店を訪れ、深い仲になった客だったのです。
福岡スナックママ連続保険金殺人事件の家庭教師
3番目の夫・高橋隆之さんが命を奪われたのは、2000年11月12日。
場所は夫婦が同居していた福岡市南区寺塚のマンション浴室でした。
そして2004年7月、高橋裕子が恐喝容疑で逮捕され、保険金目的に2人の夫の命を奪わったことを自供。
また、2番目の夫・野本雄司さんの件の共犯者として、子供の家庭教師だった男も逮捕されたのです。
ちなみに逮捕された家庭教師ですが、名前は井手健一さんといって、当時は福岡市にある九州大院に在籍。
九州大院卒業後は、神戸の大手重機会社の技術系社員として就職するも、後に退職。
2014年には神戸市垂水区内に中古の一戸建てを購入し、妻子と暮らしていたようです。
その野本雄司さんの現在はというと、一審では有罪だったものの、3年半後の高裁で無罪が確定。
無罪が確定したときは37歳になっていて、長崎県佐々町に住んでいたことが分かっています。