☆この記事はこのような人におすすめです。
・畠山鈴香の現在や弟、旦那について知りたい。
・畠山鈴香の生い立ちや心霊写真について知りたい。
・畠山鈴香の寄せ書きが自演なのかを知りたい。
2006年、秋田県山本郡藤里町で当時、小学4年生の畠山彩香ちゃんが母親の畠山鈴香によって命を奪われました。
その1ヵ月後、畠山鈴香は2軒隣に住んでいた当時、小学1年生の米山豪憲くんを殺害。
この「秋田連続児童殺害事件」で逮捕された畠山鈴香には、無期懲役の判決が下されたのです。
そこで今回は、畠山鈴香の現在や生い立ち。
逮捕後、フライデーが掲載した畠山鈴香の自宅外観に写る心霊写真と寄せ書き。
離婚した旦那や弟、売女説について調査してみました。
畠山鈴香の現在と旦那 弟について
畠山鈴香の元旦那は、「鈴香被告にナンパされて結婚した」と語っています。
離婚理由については「家事を全くしない」、「出勤するときも寝ていたから」だとか。
元旦那はテレビに出演し、当時の結婚生活を告白していたのです。
元旦那いわく、愛想をつかして離婚したということですが、畠山鈴香の知人からは「旦那の浮気が発覚したので離婚した」という証言もあるようです。
また、娘の彩香ちゃんを妊娠したときも、誰の子かで揉めたのだとか。
そんな旦那と離婚後、畠山鈴香は家計を支えるべく「葬儀店」、「隣町のパチンコ店」、「実家近くの釣具店」と繰り返し転職。
一方、畠山鈴香と母親の関係は、性格形成を担った生い立ちから想像できませんが、相互に依存し合う仲だったようです。
畠山鈴香は母親を慕い、母の言うことには素直に従うことが多かったといいます。
しかも、畠山鈴香は4歳下の弟とも依存しあうような関係。
逮捕後、弟と母親は生活保護を受けながら、畠山鈴香の公判に欠かさず通ったそうです。
その後も2人は、足繁く面会に訪れていたらしいのですが、犯行の動機に関しては、1度として納得できる答えは得られなかったとか。
そして姉の逮捕後、生きていくだけで精一杯だった弟は「ハローワーク」に通ったりしたらしいのですが、なかなか就職が決まらずにいたといいます。
一方、姉の畠山鈴香はというと、起訴後に秋田刑務所に拘置されていました。
その後、無期懲役の判決が下り、現在は福島市にある女子刑務所「福島刑務支所」に収監されています。
なお、現在の畠山鈴香は独居でなく、出来るだけ早く仮出所できるよう工場に出て真面目に刑を務めているとか。
弟と母親に関しては、裁判中は公判に欠かさず通っていましたが、弟も就職したこともあり、現在面会に訪れることはないということです。
畠山鈴香の生い立ちは父親からの虐待
警察は当初、「秋田連続児童殺害事件」の被害者・畠山彩香ちゃんの死に関して、「誤って川に落ちた」と判断し、事故として処理。
ところが、後に警察の検証は間違いで捜査ミスだったことが判明したのです。
結果、この初動捜査のミスさえなければ、もっと早く畠山鈴香を逮捕できたし、米山豪憲くんの命が奪われることもなかったかもしれません。
犯人の畠山鈴香に関しては、当時から言動がおかしく、容疑者として疑いの目を向けられていたのです。
そんな畠山鈴香の生い立ちですが、逮捕後の裁判で幼少時代に陰湿ないじめにあっていたことなどが、法廷で明らかになっています。
幼少時代、いじめを受ける日々を過ごしたという畠山鈴香は、昭和48年2月、秋田県山本郡で自営のトラック運転手の父親と、元飲食店従業員の母親との間のに誕生。
兄弟に関しては、先ほどにも触れたように弟が1人います。
小・中・高校は、地元の学校に通学。
ただし、周囲から聞こえてくるのは意外にも「地味で暗くて目立たない子」という証言があり、小学5~6年生のころから毎日のようにいじめに遭っていたといいます。
小学校当時は、給食で残した食べ物を手のひらに乗せて食べさせられ、付いたあだ名は「ばい菌」。
トイレに押し込められ、上から水を掛けられたこともあったそうです。
中学に上がってからも畠山鈴香のイメージはそのままで、『臭い、汚い』。
そのことで心に傷を負い、次第に性格が陰湿になっていったといいます。
加えて家庭にも問題があったとか。
両親は不仲で、父親は母親だけでなく、娘の鈴香被告にも暴力を振るっていたそうです。
小学校高学年になると、父親から暴力を受け、中学に入るとますますエスカレート。
殴る蹴る、髪の毛を引っ張り引きずり回されるなどしたといいます。
そんな父親から理不尽な虐待を受けていた畠山鈴香は、毎日ビクビクした生活を送っていたのです。
そのため、体調も決して良くはなく、貧血や手足の痺れもあったのだとか。
畠山鈴香の性格までも変えたとされる生い立ちは、過酷なものだったのです。
それと同時に世の中に対して恨み、つらみがたまり、人を食ったような態度になったのも、このころからだとされています。
畠山鈴香の卒業文集の寄せ書きは自演?
畠山鈴香は中学を卒業した後、秋田県立二ツ井高校へ進学。
このころから、万引きや窃盗事件を起こしています。
ただ、これらの犯行も周囲の関心を買うためだったり、不良グループの使い走り、強要もあったのだとか。
それに、ほかの生徒からよほど嫌われていたのか、畠山鈴香が書いた卒業文集には数々の悪質コメントが書いてあります。
※逮捕後、公になった寄せ書き
「もうこの秋田には帰ってくるなョ」、「秋田の土はニ度とふむんじゃねぇぞ」、「戦争に早く行け」、「いつもの声で男ひっかけんなよ」、「今までいじめられた分、強くなったべ」
(卒業文集の寄せ書き)
この寄せ書きにも書かれているように、高校時代の畠山鈴香は「”男性関係”が派手になっていった」といいます。
その一方で、この寄せ書きには、似ている筆跡が多くある為「自演では?」とも言われているようです。
しかし、これらは実際に書かれた寄せ書き。
本物なので自演ではないそうです。
そんな噂が立った畠山鈴香は高校卒業後、栃木県内の温泉旅館へ仲居として就職。
しかし、すぐに辞めています。
その後、結婚して長女・彩香ちゃんを授かるのですが、旦那の浮気が原因で離婚。
離婚してからは職を転々と変えつつ、複数の男性と関係を持つようになるのですが、借金もかさみ、生活保護を受けて母娘2人で生活していたのです。
なお、職場で一緒だった女性によると、当時の畠山鈴香の男性関係についてこのような証言をしています。
「男は取っかえひっかえでした。本命以外に数人いて、交代で自宅に連れ込んでいました。男を家に入れる時は、必ず沙香ちゃんを外に出していたそうです。夜もですよ。信じられません」
まさしく、「売女」として生活していたのです。
畠山鈴香の自宅に心霊写真?
畠山鈴香の逮捕で、生い立ちや秋田県立二ツ井高校の卒業文集での寄せ書き、離婚した旦那や売女関係に至るまでが公になりました。
ですが、別のことでも注目されることになります。
逮捕される前の畠山鈴香は、近所付き合いもほとんどなかったといい、2003年頃からは精神科に通院し、睡眠薬と精神安定剤が手放せない状態だったといいます。
その精神不安定さから、騒動も起こしていたのです。
畠山鈴香は、育児放棄した挙げ句に近隣住人からも嫌われる存在。
ついには、娘を殺害し、近隣に住む関係のない米山豪憲くんの命までも奪うという、重大な犯罪を犯して逮捕されたのです。
そして、当時、フライデーが掲載した畠山鈴香の自宅外観の写真が「心霊写真だ!」と話題に。
(心霊写真?)
掲載されている写真に写っているのは、「畠山鈴香に命を奪われた米山豪憲くんじゃない?」と一時、騒然となったのです。
また、心霊写真に関して、米山豪憲くんの家族も「似ている」と語っていましたが、はたしてこの写真は本物なのでしょうか?
結論から言うと、心霊写真ではないと思われます。
写真をよく見ると、外の景色が一緒に写り込んでいるので、おそらくその場にいたマスコミの誰かの顔が反射で写っただけのようです。