☆この記事はこのような人におすすめです。
・池袋通り魔殺人事件の犯人、造田博(ぞうた ひろし)の現在を知りたい。
・造田博の生い立ちや兄、両親の現在について知りたい。
・造田博の出身高校を知りたい。
1999年9月8日に東京都豊島区池袋で発生した「池袋通り魔殺人事件」。
逮捕された造田博は、現在どこの拘置所に収容されているのでしょうか?
なお、犯人の造田博の生年月日は、1975年11月29日生まれで岡山県倉敷市出身。(逮捕時23歳)
家族は父親と母親の両親と、兄弟に兄が1人います。
こうして一見普通の家庭に育ったと思われるのですが、事件の背景には少年時代の生い立ちが深く関係しているといいます。
そこで今回は、「池袋通り魔殺人事件」の犯人・造田博について振り返ってみようと思います。
造田博の現在は廃人?
造田博は現在、死刑が確定している為、刑務所には収監されずに拘置所に収容されています。
収容されている場所は、全国に8箇所ある拘置所の1つ「東京拘置所」だとか。
東京拘置所は東京都葛飾区小菅にあり、独居房での造田博死刑囚は現在、廃人同然だということです。
※衛生夫が語った独居房での造田博死刑囚
「造田は何もしゃべらず、下を向いて一日過ごしています。”お茶要りますか?”と聞いても、やや間をおいて手でバッテンの合図をする位で、私は彼の声を一度も聞いたことがありません。また、汚くてどうしようもない人間で、シャツも洗濯しないから、白いシャツが真っ黄色になってしまっているのです。トイレも絶対に流さないので、房は臭くて仕方がない。一言で言えば”廃人”同然の人物で、扱いにくさでは、フロアで屈指でした」
そもそも造田博は、統合失調症などの精神疾患の疑いがありました。
その為、裁判でも責任能力の有無が争点となったのです。
一審初公判での造田博は起訴事実を認め、弁護側は心神喪失、心神耗弱を主張。
しかし、精神鑑定で否定された為、裁判所は完全責任能力を認めたのです。
そして2002年1月、東京地裁で死刑判決が下されて控訴するも、棄却され、最高裁で死刑が確定したというわけです。
事件から20年以上経っても死刑が執行されない理由は、現在の造田博が精神崩壊して廃人状態だからなのかもしれません。
造田博は両親と兄の4人家族
造田博の両親の名前は父親が稔、母親が陽子です。
両親の職業は父親が大工で、母親が被服工場の下請けでミシン縫製の内職。
そして、土地を売却して大金を手に入れてからはというと、父親は大工を辞めて酒とギャンブル三昧。
保険外交員に転職していた母親は、身に着けるものが高級品になっていき、最終的に働かなくなったということです。
また、この両親ですが、息子である造田博の死刑が確定した後でも公に姿を見せていません。
なので、現在も音信不通のままになっていて、生きてるのか死んでるのか分からない状態。
一説には「反社に命を取られたのでは?」なんていう噂も飛び交っているようです。
それと4歳上の兄ですが、父親と母親が失踪した時、福山大学に通っていたとされています。
その後の兄は、弟の事件で結婚が破談。
両親と同様、現在音信不通になっているそうです。
ちなみにこれは真実なのか不明ですが、造田博には妹が1人いて、病気で亡くなっているとの情報もあります。
造田博の生い立ちと出身高校
池袋通り魔殺人事件の犯人・造田博は悲惨な生い立ちを過ごしています。
造田博は岡山県倉敷市出身。
生まれ育った地は造田姓の多い地域だそうです。
そして3歳の時に隣町の児島郡灘崎町(現・岡山市南区灘崎)に引っ越し。
家族4人は新しい地で普通に暮らしていたといいます。
ところが、そんな生活も造田博が小学校高学年の頃に一変します。
父親が相続した祖父の土地を売り、数千万円の大金を手に入れたことからギャンブルにハマるようになったのです。
大金を手にした両親は、パチンコ、競艇、競輪と年を追うごとにエスカレート。
そんな中、造田博自身は中学3年の時に猛勉強した甲斐あって、倉敷四校の1つである県立倉敷天城高校合格。
※倉敷四校とは、岡山県倉敷市内にある県立全日制の4つの高校
倉敷天城高校、倉敷青陵高校、倉敷南高校、倉敷古城池高校の4校間で総合選抜を行っていた名残で、現在も倉敷四校の総称が使われることがあります。
造田博の出身、県立倉敷天城高校は文部科学省によるスーパーサイエンスハイスクール(SSH)研究指定校。
理数教育に力を入れており、難関大学合格者数の向上を目標としています。
こうして造田博は進学校の倉敷天城高校に入学し、成績は優秀。
将来有望かと思われたのですが、その後両親がギャンブルなどが原因で4千万円の借金を残して失踪したのです。
両親に捨てられ、ひとり残された造田博。
実家には借金取りが連日のように押しかけてくるようになります。
そして1993年5月、経済的に追い詰められた造田博は大学進学を諦めて高校を2年で中退。
アルバイトをするようになり、翌年の1994年1月、広島県福山市で暮らす兄に引き取られることになったのです。
造田博の職業(経歴)と彼女
池袋通り魔殺人事件を起こした時の造田博の職業は、足立区内の新聞配達員。
勤務態度は真面目で、遅刻をすることもなかったといいます。
また、事件発生までの間はというと、パチンコ店員、造船所塗装工、京都の染色工、自動車部品工、肉体労働系など分かっているだけで14回も職を転々。
いずれも長続きせず、まともな職にありつけなかったことからアメリカに渡ったこともあったのです。
そんな造田博に彼女の存在が噂されたこともあったようですが、本当なのでしょうか?
結論から言うと、勝手な妄想です。
造田博は1994年から1995年にかけて、小中学校時代の同級生だった女性に好意を抱いていました。
彼女の家に手紙を送ったり、電話を掛けたりする迷惑行為をたびたび繰り返していたのです。
そして、ついに女性の家まで押しかけたらしいのですが、応対した父親に厳しく拒絶されて会うことを挫折。
その日はおとなしく帰って行ったといいます。
当時、造田博はこの女性のことを「好きになった」と話しており、1996年2月の仕事の面接の際も「彼女との結婚資金を貯めたい」と答えていたのだとか。
しかし、これらは造田博の勝手な思い込みで、実際は同級生だった女性と一度も話したことがなかったということです。
池袋通り魔殺人事件が発生した場所の現在
「池袋通り魔殺人事件」が発生した場所は、東京都豊島区東池袋の東急ハンズ前。
この場所は普段から人通りが多い為、いきなり襲撃されると身を守ることが難しいです。
そんな造田博の犯行は、通り魔事件の先駆けとなり、その9年後、加藤智大による「秋葉原無差別殺傷事件」が発生。
犯行動機は違えど、どちらも自分勝手な思い込みによって起こった事件だったのです。
あと、池袋通り魔殺人事件が起きた東急ハンズ池袋店ですが、現在は営業を終了しています。(2021年10月31日閉店)
跡地には、ニトリが2022年秋にオープンすることになっています。