☆この記事はこのような人におすすめです。
・女優の山本陽子さんが結婚して旦那(夫)がいたのかを知りたい。
・山本陽子さんが沖田浩之さんの子供を出産したという噂について知りたい。
・山本陽子さんの現在について知りたい。
大御所女優として名が知れている山本陽子さんですが、役者になる前は意外にも3年間OLをやっていたそうです。
女優になって初めてギャラが出たのは、石原裕次郎さん主演の映画『赤いハンカチ』。
その作品で「お手伝いさんB」として出演し、その後いろいろな役を務めていました。
また、プライベートの方では「沖田浩之さんと男女の関係にあったのでは?」と噂されたことも。
そこで今回は、36歳の若さでこの世を去った、沖田浩之さんとの結婚の噂などについて振り返ってみようと思います。
山本陽子が結婚した旦那(夫)は?
山本陽子さんといえば、和風美人の女優というイメージがありましたが、若い頃はゴルフやテニスといったスポーツが趣味。
“初めてポルシェに乗った日本人女性”としても知られています。
また、結婚に関してはこれまで一度もしていません。
なので、当然ながら旦那(夫)はいないことになります。
ただ、恋愛なら俳優の田宮二郎さんや、沖田浩之さんと噂になったのですが、結局、結婚するまでに至らなかったようです。
しかも、男女関係になったこの2人に共通するのが自死。
田宮二郎さんは1978年12月28日、沖田浩之さんは1999年3月27日に自ら命を絶っているのです。
山本陽子さんがこれまで結婚しなかったのは、そういったことが原因していたのかは分かりませんが、いずれにせよ、夫のいない自由な生き方を選んだようです。
山本陽子が沖田浩之の子供を出産?
山本陽子さんと沖田浩之さんの交際が噂になったのは、1982年頃。
当時、山本陽子さんが40歳、沖田浩之さんが20歳で「20歳差カップル」として世間を騒がせました。
しかも、「2人の間に子供が居る」という噂まで立ったのです。
ちなみに、2人は何がきっかけで噂になったのかというと、ドラマ「愛を裁けますか」で初共演したことでした。
このドラマで山本陽子さんは高校教師、沖田浩之さんは教え子役で出演。
共演から噂になったことについて、沖田浩之さんのマネジャーは「(ドラマでの関係もあって)演技や人生観など、いろいろアドバイスしてもらっているようですね」とコメントしたのです。
また、当時の沖田浩之さんは、山本陽子さんをはじめ、加賀まりこや松原千恵子といった熟女が好きなことを告白していました。
そういうこともあって、2人の熱愛報道は加熱するばかり。
週刊誌等に「山本陽子のマンションに沖田浩之が出入りして、時には泊まることも」、「2人は陽子さん、ヒロくんと呼び合い、年齢差を感じさせない親密さを見せている」といったことが掲載されたのです。
一方、スキャンダルを報じられた沖田浩之さんは「山本陽子さんのことは好きですよ。好きだけど恋人なんかじゃない」と恋人関係を否定。
山本陽子さんも「恋人?うれしいわァ、そんな若い子、ハハハ」、「男と女の関係があったら意識的に私の家には来ませんよ」とコメントしたということです。
それに、子供に関しても結局、ただの噂話でした。
1985年のドラマ「二度目のさよなら」で山本陽子さん演じる人妻が、14歳年下の青年・沖田浩之さんの子を身ごもるという設定から「子供がいる」という噂が立っただけだったのです。
そして、その後の2人はというと、関係が徐々に変化していきます。
1986年に沖田浩之さんの母親が「ウチの息子をいったいどうするつもりなんですか」と山本陽子さんに詰め寄ったかと思えば、「沖田浩之さんが新人女優にちょっかいを出している」という噂が立つ始末。
山本陽子さんは沖田浩之さんとのことについて、「まじめに結婚したいと考えている」と答えていたようですが、最終的には破局したのでした。
沖田浩之の妻と子供
沖田浩之さんは、1980年代に社会現象となった「竹の子族」から芸能界入りし、ドラマ「3年B組金八先生」などに出演。
その後は、アイドル、俳優として活躍しました。
また、プライベートでは1995年に一般女性の千代子さんと結婚。
子供も授かり、「子育てが趣味」と言うくらい子煩悩だったのですが、結婚から4年後の1999年3月27日、神奈川県川崎市内の自宅で自ら命を絶ったのです。
沖田浩之さんの死は、自死が死因だっただけに衝撃を与えたわけですが、報道によると第一発見者は子供だったとか。
「お父さんが寝てるよー」と言ったことで妻の千代子さんが気付いたそうです。
では、なぜ沖田浩之さんは自ら命を絶つことを選択したのか?
亡くなった原因について、「女性問題」や「仕事に悩んでいた」などと一部で報じられたのですが、週刊新潮が「はっきり言って兄の借金問題が理由にあった」と死因にまつわる話を報じたのです。
当初、沖田浩之さんの自死には、「事務所の社長である津川雅彦さんの言動に原因があった」とされていました。
というのも、沖田浩之さんは亡くなる前日、津川雅彦さんと一緒に酒を飲んでいたそうです。
その際、津川雅彦さんは役者として悩みを抱えていた沖田浩之さんに厳しいことを言ってしまったとか。
津川雅彦さんは「自分の叱責が自死の原因ではないか?」と後悔の念を抱いていたということですが、本当の理由はやっぱり金銭問題。
沖田浩之さんは、兄が抱えている借金の連帯保証人になっていたらしいのです。
沖田浩之の死の真相
沖田浩之さんの兄は、神奈川県の川崎市内で不動産業やゴルフ会員権を扱う会社を経営していたらしいのですが、業績は決して順調ではなかったといいます。
しかも、沖田浩之さんが亡くなる3年前、父親が会社を傾かせた長男を心配し、“俺の保険金で負債を返済しろ”と言い残して自ら命を絶ったそうです。
以来、沖田浩之さんにも「巨額の借金があるのでは?」との噂が囁かれていたのだとか。
また、当時の登記簿謄本を見ると、兄が社長を務めていた「共栄不動産」は極度額3億円もの根抵当権が設定されていたといいます。
実家の方は弟の沖田浩之さんが相続していたものの、地元の金融機関から8000万円の抵当権が設定されていたということです。
週刊新潮は、これらの情報を踏まえ、沖田浩之さんの死の真相を「兄が作った借金苦によるもの」と報道。
なお、当の兄は沖田浩之さんが亡くなった3年後の2002年4月に自死しているそうです。
これまで沖田家では、沖田浩之さん以外にも弁護士の祖父が裁判上でのトラブルで自死。
また、父親が子供の借金のため、会社経営がうまくいかなかった兄の計4人が自ら命を絶っています。
結局、沖田浩之さんの死に兄の借金が関わっていたのかどうかは謎のままですが、残された妻の千代子さんは再婚し、娘さんも随分と大きくなっているということです。
山本陽子の現在
山本陽子さんは2024年2月21日に死去しました。
死因は急性心不全で、生前は熱海のマンションでひとり暮らしていたそうです。
熱海のマンションは山本陽子さんが50代の頃に別荘として購入した物件で、70歳を過ぎてから移住を決意。
きっかけは、日用品や電化製品などが増えてしまったことだったといいます。
そして、いろんな物を処分し、熱海に移り住んでからフラダンスを始めたり、日本画を描くようにもなったのだとか。
生活する上で欠かせない掃除にしても、家政婦を雇っていない為、自分でこまめにしていたそうです。
結局、結婚しなかったのは、こういった「何でも自分でやらないと気が済まない」という性格も影響したのかもしれません。