外国人専門の芸能事務所社長・稲川素子氏といえば、ルビー・モレノとの関係が話題になりました。
そんな稲川素子氏は、2013年に患った末期の大腸がんから復帰したものの、ここにきて肺に癌が再発。
現在、治療を施しながら、東京大学大学院の博士課程へ進学しています。
それにしても、東大の大学院に通って、博士論文に取り組んだあと、博士課程へ進学するなんて、年齢からは想像できないほどの学歴を誇っています。
稲川素子氏は、「これからもまだまだしなくてはならないことがたくさんある」としながらも、日々転移した癌の治療に取り組んでいるのです。
それに、夫を脳梗塞で亡くしてからは、独り暮らしでしたが、現在はカリフォルニアにいた娘さんが帰ってきているとか。
なので、少しは安心といったところでしょうか?
そこで今回は、稲川素子氏の実家や娘、病気の癌について探ってみたいと思います。
稲川素子の大腸がんが肺に転移
稲川素子氏の大腸がんが発覚したのは、2013年の3月の健康診断によるものでした。
それまで本人は、自覚症状はなかったということですが、癌は肝臓、肺へと転移していて、レベルがステージ4の末期状態だったといいます。
がん発覚後は3回の手術を行っていますが、入院中も酸素とかの管が体に付いた状態で、病院のコンピュータールームやラウンジでずっと仕事をしていたそうです。
最後に残った肺に転移した腫瘍をサイバーナイフという放射線治療をし、なんとか復帰できたにもかかわらず、今回、再び肺に癌が発覚したというから大変です。
やはり、最新治療のサイバーナイフでも完璧に治ることはないのでしょうか?
それとも呼吸に影響が出るため、肺に転移した癌を少し残したままだったのかもしれません。
稲川素子の実家や娘は?
稲川素子は福岡県柳川市出身。
実家は金持ちで、幼少時代は何不自由なく育てられたそうです。
また、実家が金持ちということもあって、父親は海外経験があるといいます。
実家の敷地は1万坪の大屋敷。
16歳の高校生時に、あのマッカーサーからベーコンエッグを食べさせてもったという、逸話も残しています。
そして、高校卒業後は慶應義塾大学に入学。
24歳で結婚、妊娠し、子供を育ててきたということです。
一方、娘の稲川佳奈子(いながわかなこ)さんは、桐朋学園大学演奏学科出身。
職業はピアニストで、現在は母親の会社「稲川素子事務所」の文化芸術部に所属しています。
娘・稲川佳奈子さんの主な経歴は以下の通りです。
(稲川佳奈子さんの画像)
・福岡県生まれ。
・1981年桐朋学園大学演奏学科卒業。
・1984年朝日新聞社主催「第3回新人音楽コンクール」第1位大賞、グランプリ受賞、文部大臣賞受賞。
・井口秋子、安川加寿子、ウラド・ペルルミュッテル、コンラッド・ハンゼン、エレナ・クラビアン各氏に師事。
・高校在学時から九州交響楽団と度々協演。
・1995年ドイツコンサートツアー。
・1997年東京公演。
・1999・2000年ロイヤルメトロポリタン管弦楽団協演。
稲川素子の夫は脳梗塞で死去
稲川素子氏は、夫を脳梗塞で亡くしているそうです。
そして、娘の佳奈子さんも検査をして大腸がんが見つかっているのです。
娘さんの場合は、幸い早期発見だったので転移も見られず。
なんとか切除するだけで済んだようですが、家族みんなが何かしらの病気になるとは、稲川素子氏も思ってもみなかったことだと思います。
また、前回の大腸がんで入院していたときも、稲川素子氏は「そのままパタッと逝ければ本望。死ねば前に脳梗塞で亡くなった主人にすぐに会えるから生きてるのも楽しい、死ぬのも楽しみです」と語っているのです。
稲川素子は東大院生だった
稲川素子氏は、ふつうの専業主婦から50歳のときに、現在の会社「稲川素子事務所」を設立しています。
それだけでも少し驚きですが、なんと65歳のときに慶大文学部に再入学しているのです。
というのも、もともと稲川素子氏は、戦後の食糧難などで幼い頃はかなり体が弱く、入退院を繰り返していたため、大学を中退していたそうです。
それを65歳になって再び慶大文学部に入学し、ドイツ文学を専攻して70歳で卒業しています。
多少仕事に余裕がでたからといっても、なかなかできることではありません。
そして驚くことに現在は、国際社会科学を学ぶ東大の大学院生を経て、博士課程へ進学。
専攻は、国際社会科学だといいます。
他にも稲川素子氏は本を書いたり、講演をしたりと、色々な分野で活動していて、肝心の事務所は社員がほとんどやっているそう。
現在は、癌が再発したということなので、東大の方などどうなっているのか分かりませんが、また復活してくれることでしょう。