☆この記事はこのような人におすすめです。
・2016年7月31日に亡くなった元横綱・千代の富士の死因を知りたい。
・千代の富士が通院していた鹿児島の病院について知りたい。
・1989年に死亡した千代の富士の娘(子供)の死因を知りたい。
・千代の富士の八百長疑惑の真相を知りたい。
元横綱・千代の富士(九重親方)の死因は、2015年6月に早期の手術を受けた「膵臓癌(すいぞうがん)」。
膵臓癌手術は、6月中旬から下旬にかけて行われ、約1カ月の入院治療の後、7月下旬には退院していたそうです。
その後、千代の富士は公の場に姿を現すも、変わり果てた激やせ姿に誰もが驚いたとか。
当時は病気のことを世間に内緒にしていたので、その場にいたマスコミなんかは、「重病ではないか」と大騒ぎになったといいます。
なお、千代の富士が患った「膵臓癌」は、見つかった時にはすでに進行しているケースが非常に多く、手術したとしても余命5年と言われる病気です。(5年生存率は極めて低く、3%とも5%ともされています。)
その後、鹿児島の病院で放射線治療に取り組んでいることが一部で報じられ、2016年7月31日、東京都内の病院で亡くなったのです。
そこで今回は千代の富士の死因や、生後3カ月で死亡した娘の死因などについて調査してみました。
千代の富士の死因は膵臓癌
生前の千代の富士の病状について、一部のマスコミは「抗がん剤治療を行わず、放射線治療に取り組んでいる」と報じていました。
ちょうどそのころ、都内のイベントに出席していた次女でモデルの秋元梢は、「膵臓癌で闘病中」と報じられた父親の病状について問われるも、終始無言だったとか。
それだけ、千代の富士の病状は深刻だったのです。
なお、死因となった膵臓癌は、すべての癌の中でも最も恐ろしい癌とされています。
また、発見も難しく、見つかった時にはすでに進行しているケースが非常に多い病気。
早い段階でリンパ節に転移してしまう可能性が高く、切除手術が成功しても約7割が再発するとも言われるのが、膵臓癌の特徴です。
結局のところ、根治には外科手術で病巣を完全に切除するしかありません。
ですが、手術したとしても5年生存率は極めて低く、3%とも5%とも言われ、「余命5年説」とされる重病。
手術後の千代の富士は驚くほどの激やせぶりでしたが、それでも元気な姿を見せていたときもあったのです。
それでも、最後はやはり病気に勝てなかったというわけです。
千代の富士の膵臓癌が見つかるきっかけ
死因となった千代の富士の膵臓癌は、年に1度受けていた健康診断で発見されたそうです。
生前、千代の富士は都内の大学病院で毎年、誕生月の6月に健康診断を受けており、そこで膵臓癌が見つかったとか。
すぐに入院して、摘出手術を受けた後、さらに検査を進めると、他の部位にも転移していることがわかったそうです。
ちなみに、千代の富士が膵臓の手術を行った病院は、日本の医療の最高峰といっていい病院でしたが、「手術ですべての病巣を取り除くのは難しい」と判断されたとか。
そこで、医師は抗がん剤治療をすすめたそうですが、千代の富士はそれを保留し、セカンドオピニオンを求めたということです。
抗がん剤治療は、癌の転移などによって、手術による病巣の除去が難しい場合や、手術の前に少しでも病巣を小さくしておく目的で行われるのが一般的。
ただし、抗がん剤は、癌以外の正常な細胞にも作用してしまうため、激しい副作用を伴うことが多いといいます。
千代の富士が通院した鹿児島の病院
千代の富士が頼ったセカンドオピニオンなのですが、名前は「UMSオンコロジークリニック」です。
UMSがあるのは、鹿児島市で鹿児島空港から車で40分ほど。
県内一の繁華街にほど近い場所にある6階建てのこぢんまりした建物にあるそうです。
そこで、千代の富士はまず、UMSで治療が可能かどうか、病気の画像データなどを持参して相談。
すると、病院側は「抗がん剤を多量に使用しなくても治療する方法がある」と提案したということです。
そして、全国でここしか行われていない「四次元ピンポイント照射療法」という放射線治療を2015年に入ってから受けることになります。
結局、千代の富士は年明け頃から通い始めて、数か月に1度、1週間程度泊まりがけで鹿児島の病院に通院。
大酒豪で知られた千代の富士でしたが、膵臓癌が発覚して以降、激やせ。
アルコールは一滴も口にしておらず、まさに現役時代さながらの不屈の闘志で癌と闘っていたのです。
しかし、余命5年と言われる病に勝てず、最後は東京都内の病院で亡くなってしまったのです。
千代の富士の娘が死亡した原因
千代の富士の子供といえば、ショップ店員兼モデルで長女の秋元優(ゆう)さんとショップ店員で長男の秋元剛さん。
モデルで次女の秋元梢ですが、実はもうひとり娘がいたのです。
その娘の名前は愛ちゃんといって、1989年に生後3カ月で突然亡くなっています。(没後、台東区の玉林寺に葬られています)
ただ、突然死と言っても事故とかではなく、死因は「乳幼児突然死症候群」という乳幼児が突然死をもたらす疾患でした。
この乳幼児突然死症候群ですが、日本での発症頻度はおよそ出生6,000~7,000人に1人と推定され、生後2ヵ月から6ヵ月に多いとされています。
また、はっきりとわかっていませんが、以下の様な原因で発症することが多いとか。
「男児」、「早産児」、「低出生体重児」、「冬季」、「早朝から午前中に多い」、「うつぶせ寝」、「両親の喫煙」、「粉ミルクで育てた」、「両親の喫煙」など。
現役時代の千代の富士は、1日3箱喫煙していたことが有名で、禁煙してからグンと強くなり、歴史に残る53連勝を達成したのも事実。
結局、娘・愛ちゃんが患った乳幼児突然死症候群という病気は、千代の富士の喫煙が原因で発症してしまったのかもしれません。
千代の富士の八百長疑惑の真相
大相撲の八百長問題は、昔から週刊誌などによってよく取り沙汰されてきました。
その中の1人に、千代の富士の名前が挙がっていたことを元小結板井が暴露しています。
板井は週刊誌や自身の著書から八百長を告発し、自分が八百長力士だったことを告白。
国技・大相撲には八百長が存在することを明らかにしたのです。
そして、計20人の八百長力士の名前を挙げたのですが、力士、相撲協会共々八百長の存在を否定。
さらに、板井が体験した過去の八百長のことについても認めることはありませんでした。
板井の告白には「千代の富士は、ガチンコでいっても勝てる相手からも星を買って、無理をしないことで、相撲人生を長くするつもりだった。」などとあります。
また、千代の富士と弟弟子である北勝海は、八百長で優勝をたらい回しにしていたこと。
千代の富士は序盤・中盤はガチンコだったが、終盤は八百長で優勝を手に入れていたことや、千代の富士の星が悪い時は北勝海が終盤の八百長で優勝していたといいます。
そんな北勝海は、千代の富士が怖くて八百長をやっていたようなところがあったとか。
しかも坂井は「「ガチンコで唯一かなわないと思ったのは千代の富士だけ」と、八百長が無くてもガチンコで一番強かったことを認めています。