梨田昌孝は嫁と娘 息子(子供)が家族?生い立ちや若い頃の成績は?

梨田昌孝の画像 病気

現在、流行中の病気は、芸能界やスポーツ界でも日に日に増加しています。

 

先日に至っては、志村けんさんがこの病気による肺炎のため、亡くなりました。享年70

 

今度は、元プロ野球選手の梨田昌孝(なしだまさたか)さんも、流行中の病気を患ったことを所属事務所が発表。

 

梨田昌孝さんは現在66歳。

 

志村けんさんと同年代で、病状については、現在、集中治療室(ICU)に入っているということです。

 

そこで今回は、容態が心配される梨田昌孝さんの嫁や、子供(息子、娘)の家族について調査してみました。

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梨田昌孝の家族 嫁の名前

梨田昌孝さんの病気ですが、患っていることが判明したのは、3月31日とのこと。

 

最初は発熱と呼吸困難の症状が出たことで大阪の病院を受診。

 

重度の肺炎と診断を受けた後、PCR検査した結果、陽性反応が出たということです。

 

この症状は、まるっきり志村けんさんと同じなので、ご家族も心配されていることと思います。

 

そこで梨田昌孝さんの家族について調べたところ、まず嫁がいることが判明。

 

嫁の名前は幸斗子(さとこ)さんと言って、旦那・梨田昌孝さんの2歳年下です。

 

(嫁の幸斗子さん)
梨田昌孝の嫁の画像

 

そんな嫁の幸斗子さんは、着物が好きで、東京・青山にある着物ブランド「SHITO HISAYO」の常連客。

 

また、「SHITO HISAYO」のファッションショーに出演するくらい、このブランドのファンのようです。

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梨田昌孝の子供は息子と娘

梨田昌孝さんには、2人の子供がいるようなので、4人家族になります。

 

子供は、幸斗子さんと結婚後、1984年に長女、翌年の1986年に長男が誕生。

 

名前は、娘が明希(あき)さん、息子が和利(かずとし)さんで、年齢は明希さん35歳、和利さんが34歳です。

 

また、子供2人の現在ですが、息子の和利さんは結婚していて、アメリカのシンシナティー市に移住。

 

その和利さん夫婦ですが、2016年に第一子となる長女が誕生しているようです。

 

一方、娘の明希さんについては、結婚の情報はありませんでした。

 

(娘の明希さん)
梨田昌孝の娘の画像

 

ただ、明希さんは母親と同じで着物好き。

 

娘の明希さんも「SHITO HISAYO」の常連で、母親と一緒にファッションショーに出演しているようです。

 

さらに、着物のモデルを目指しているということです。

梨田昌孝の生い立ち

島根県浜田市出身の梨田昌孝さんは、兄と姉の3人兄弟で、中学2年生のときに父親が死去。

 

そのため、幼少期からの生い立ちとしては、決して裕福な家庭で育ったというわけではないようです。

 

父親が亡くなったことで、中学時代から新聞配達と集金のアルバイトで家計を助けていた梨田昌孝さんは、中学校卒業後、地元・島根県立浜田高校に進学。

 

浜田高校時代は野球部のキャプテンを務め、3年の春と夏に2回甲子園出場しています。

 

高校卒業後、ドラフト2位で近鉄バファローズ(当時)に入団。

 

選手時代の「コンニャク打法」は、自ら編み出した打撃フォームで、近鉄の黄金期を支えたのでした。

 

そして、1988年で現役を引退し、1993年、近鉄コーチに就任。

 

その後は2000年に近鉄の監督になり、2001年リーグ優勝。

 

2004年、近鉄はオリックスとの合併により消滅し、梨田昌孝さんは監督を1度辞めています。

 

その1年後の2005年は、母親の梨田栄子さんが死去。享年84

 

ふたたび、2008年から日本ハムの監督を務め、2009年リーグ優勝。

 

2011年に3年務めた日本ハムの監督を勇退し、2016年から2018年途中まで楽天の監督を務めたのでした。

梨田昌孝の若い頃の成績

梨田昌孝さんは、指揮官としての実績を買われ、2013年にはWBC日本代表野手総合コーチも務めたことがあります。

 

監督時代の梨田昌孝さんは、通算成績805勝776敗。

 

リーグ優勝は2001年の近鉄時代に1回。

 

2009年の日本ハム時代に1回で、日本一になったことはありません。

 

※クライマックス進出は4回。

2008年(平成20年) 北海道日本ハムファイターズ=3位

2009年(平成21年) 北海道日本ハムファイターズ=優勝

2011年(平成23年) 北海道日本ハムファイターズ=2位

2017年(平成29年) 東北楽天ゴールデンイーグルス=3位

 

一方、選手時代だった若い頃の梨田昌孝さんは、強肩捕手として活躍。

 

17年間、近鉄1本で、1979~1981年にベストナイン3回。

 

1979~1981年、83年にダイヤモンドグラブ(現ゴールデングラブ)賞を4回受賞しています。

 

また、オールスターゲームも6度出場し、リーグ優勝も2回経験。

 

通算成績は17年間で「1323試合」「3444打数」「874安打」「113本塁打」「打率.254」。

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